小麦を含む星印
六角小雪がセントラルキッチンで引き継いだ最初の注文は、卒園式用の焼き菓子百八十袋だった。
翌日から産休に入る篠塚美雨は、アレルギー対応商品の責任者だった。星印のシールが付いた袋は小麦不使用。月印は卵不使用。壁の表にもそう書かれている。
包装台へ運ばれたクッキーを見て、小雪は手を止めた。小麦不使用の生地には米粉の白い粉が残るはずなのに、星印のトレーからは香ばしい全粒粉の匂いがした。
美雨は製造票を見直し、「生地は合ってる。シールを貼った新人の勘違いかも」と言った。だが新人の指示書には、星印が〈小麦を含む〉とある。先月、表示制度に合わせて凡例を変えた際、壁の表だけが旧版のまま残っていた。
包装室には、焼きたての甘い匂いと、アルコール消毒の鋭い匂いが混じっていた。袋の外からは中身を見分けられない。小雪は一袋だけを開け、全粒粉の粒を確認した。美雨が守ってきた「事故ゼロ」は、毎朝の見回りで辛うじて支えられていた数字だったのだ。
出荷責任者は、シールを貼り替えれば間に合うと言った。小雪は袋を開けず、全商品を二つの区域へ分けた。同じトングが使われた可能性があるからだ。新人が泣きそうな顔で「私が全部貼りました」と言うと、小雪はラベルを剥がす手を止めた。
「あなた一人の間違いにすると、次の人も同じ表を見る。先に表を止めよう」
小雪は包装を中断し、製造票、壁の凡例、シールの色を一つの版番号で管理するよう変更した。安全が確認できた百二十袋だけを納品し、残りは別商品へ切り替える。式には間に合った。
美雨は白衣を脱ぎながら、引き継ぎノートを差し出した。そこには、毎朝自分で壁の表を見回る、と書かれていた。
工場長は「明日からその見回りも小雪さんに」と言った。
小雪はノートを閉じ、品質保証部の社内公募画面を開いた。人が見回り続けるより、版が違えば印刷できない仕組みを作りたかった。
今日の是正報告書を添付し、異動希望を送信した。