山羊は未送信を食べない
俵木亜紗は、観光牧場の広報を担当している。
動物たちの写真を撮り、短い文章を添え、毎日投稿する。
〈青空の下で、山羊たちものびのび〉
実際には曇っていても、写真を明るくすれば青空らしくなる。亜紗は夕方まで画面を見つめ、どの言葉なら反応が増えるか考え続けた。
山羊の余白は、そんな亜紗の背後へよく立った。
白い雄で、柵の中では一番おとなしい。スマートフォンを向けると、なぜか必ず横を向く。
「こっちを見て」
『見たいものを見ろ。私に命じるな』
最初に心へ声が届いたとき、亜紗はスマートフォンを落としかけた。
「喋れるの?」
『お前が、ようやく聞いた』
余白は干し草を噛む。
『毎日こちらへ「自然な顔を」と言うが、お前の顔が一番不自然だ』
「仕事だから」
『草は映えなくても、腹に入る』
亜紗はむっとしたが、反論できなかった。
投稿の下書きは二十件たまっていた。どれも似た言葉で、どれにも自分の感想がなかった。
その日、閉園後の牧場へ夕日が差した。
雲の隙間だけが橙色に光り、余白の白い毛を薄く染める。亜紗は写真を撮った。色の補正も、山羊を正面へ向かせることもしなかった。
余白は背中を見せ、柵の影が長く伸びている。
文章を考える。
〈今日も元気いっぱい〉
違う。
〈美しい夕暮れ〉
それも違う。
「何て書けばいいと思う?」
『寒い』
「それだけ?」
『あと、腹が減った』
亜紗は笑った。
投稿には、〈閉園後。山羊の余白は寒くて、お腹がすいているそうです〉と書いた。
翌朝、反応はいつもの倍あった。
〈本当にそう言ってそう〉
〈背中がかわいい〉
〈飾らない景色に癒やされました〉
けれど亜紗が一番嬉しかったのは、自分で読み返しても嘘の匂いがしなかったことだった。
閉園後、飼育員が温めた山羊用の餌を配り、亜紗には牧場の牛乳で作ったミルクティーをくれた。
湯気の向こうで、余白が干し草へ顔を埋める。
『今日は画面を見ないのか』
「見ない。投稿済み」
『なら、少しは山羊らしい』
「私は人間」
『似たようなものだ』
風に干し草と土の匂いが混じる。亜紗は柵へ背を預け、両手でカップを包んだ。
余白は隣でゆっくり噛み続ける。何も盛らない夕暮れは、画面よりずっと温かく、長くそこに残っていた。