崩れた結界の引継日

北境勝利祭の夜、ウィルメラ・トランテは大広間で反逆者と呼ばれた。

婚約者エヴァルド・ニースが、砕けた結界石を足元へ投げる。

「彼女が保守費を惜しみ、国境結界を崩した。兵を危険に晒す女との婚約は破棄する!」

石にはトランテ家の紋が残っていた。ウィルメラは唇を結び、結界管理の引継書を広げる。

「紋は設置者を示すだけです。管理責任は、秋分の日にニース家へ移っています」

引継日の欄を押すと、書面から灰色の光景が立ち上がった。エヴァルドが結界鍵を受け取り、〈以後の補修を負う〉と自ら署名する場面。それが唯一の証拠だった。

「それでもお前は異常を知っていたはずだ!」

「引継ぎ後、私は結界塔への立入権も失いました。あなたの命令で」

崩れた石は沈黙している。沈黙こそ、彼女が触れられなかった証明だった。

引継ぎの一週間後、ウィルメラは結界石の魔力が減っていると知らせていた。だがエヴァルドは『権限を渡したのだから口も出すな』と塔の門を閉じた。彼女は命令に従い、それでも予備石の場所だけは書面に残した。彼は読まなかった。今、砕けた石を見ても、彼女は自分を責める誘惑に屈しなかった。権限を奪った者が結果だけ押し返す仕組みを認めれば、次の管理者も同じ目に遭う。これは自分一人の名誉ではなく、国境を守る責任の線引きだった。

エヴァルドは急に声を落とした。

「婚約を戻せば、管理失敗は家同士で処理できる。君も処罰を免れる」

「罪を着せた相手に、処罰を免れさせてやると?」

ウィルメラが背筋を伸ばすと、国境を治める大公セオフェル・バルハイトが一人で進み出た。彼は彼女を守る壁にはならず、壊れた結界石の隣へ立つ。

「引継書は大公府の形式と一致する。責任者は明白だ」

エヴァルドが膝を揺らす。セオフェルはウィルメラへ手を差し出した。

「結界再建の責任者を探している。今度は権限を奪わず、必要な鍵をすべて渡す」

「失敗したら?」

「私も同じ書面へ署名する。責任を分けるために」

その言葉は甘い救済ではなく、対等な約束だった。ウィルメラは婚約紋を結界石の上へ置き、エヴァルドに背を向ける。差し出された大公の手を、自分の意志で取った。