指跡を残す器

柊木絵麻は、陶芸教室で一人だけ、土を磨き続けていた。

一日体験で作るのは湯呑み一つ。ほかの参加者は形が歪んでも笑っていたが、絵麻は縁の厚みを測り、指の跡を水で消し、また歪んだ箇所を探した。商品デザイナーの目には、どの角度から見ても欠点があった。

絵麻のパソコンには、提出していない案が百近く保存されている。「もう少し整えてから」と寝かせ、締切直前に無難な一案だけを出す。先月、後輩が粗いスケッチを会議へ持ち込み、その場で採用された。絵麻は笑って拍手しながら、自分の未完成フォルダを思い出していた。そこには、本人しか違いを説明できない修正版が何十枚もある。直すたび安全にはなったが、最初に面白いと思った線だけが薄くなった。採用された後輩の案には、鉛筆の迷いまで残っていた。その粗さを羨ましいと思ったことは、誰にも言えなかった。

向かいの席では、五十代の女が、傾いた大きな器を作っていた。苑子という名前で、左側にだけ指の跡が何本も残っている。

「そこ、直さないんですか」

絵麻が訊くと、苑子は自分の親指を眺めた。

「あなたの指は、消すためについてるの?」

「きれいにするためです」

「じゃあ、一個だけ逆の仕事をさせてみて」

苑子は絵麻の湯呑みを指さした。

「焼く前に、指跡を一つ残す。どこでもいい」

絵麻は笑えなかった。焼けば消せない。完成品にわざと欠点をつけるなんて、仕事なら許されない。

講師が「あと十分です」と告げた。絵麻は縁を撫で、側面を濡らし、また撫でた。表面は滑らかになったが、触るほど薄くなり、少し力を入れれば崩れそうだった。

苑子は先に席を立った。傾いた器を棚へ置き、手についた土を洗う。別れ際にも、なぜ指跡が必要なのかは説明しなかった。

残り一分。絵麻は濡れた手を膝に置いた。滑らかな湯呑みは、店で売られている白い器とよく似ている。自分が作った証拠は、底に彫った小さな記号しかない。

講師が終了を告げる直前、絵麻は右手の親指を側面へ押し当てた。

土がわずかにへこみ、渦の線が残る。絵麻は水へ手を伸ばさず、そのまま器を乾燥棚へ運んだ。