敵の声で眠る

鐘楼の悪鬼が倒れたあと、オルディスの喉から女の悲鳴が出た。

自分の声ではない。悪鬼が死ぬ直前に奪っていた、誰かの声だ。

「父さん」

階段の下でネマが立ち尽くしていた。六歳の娘は両耳を塞ぎながら、それでも逃げなかった。

オルディスが持つ《残響》は、敵に勝つたびその最期の声を喉へ取り込む。代わりに、自分の言葉を一つ失う。初勝利で「ただいま」が言えなくなった。次に「すまない」、その次に「怖い」を失った。勝ち続けるほど戦場では強くなった。敵の断末魔を何十も放てば、生きた兵の心を折れたからだ。

今夜、鐘楼の悪鬼を倒さなければ、町じゅうの眠る者が声を吸われるはずだった。

「怪我、してる」

ネマが近づく。オルディスは「大丈夫」と言おうとした。

口から出たのは、斬った山賊の笑い声だった。

彼は喉を押さえた。失った言葉が何か分からない。言葉は、なくなった瞬間に意味ごと消える。

鐘楼の床が割れた。悪鬼の本体が這い出す。さきほど倒したのは舌にすぎなかった。骨ばった翼が広がり、ネマへ爪を伸ばす。

オルディスは娘を突き飛ばし、全ての残響を吐いた。

兵の叫び。母親の泣き声。獣の咆哮。百の最期が一つの音になって悪鬼を打ち、鐘ごと粉砕する。

本体が崩れた。

勝利のたび、喉の内側で何かが抜け落ちた。今度は一語ではない。残響を百人分使った代価として、彼の言葉は百個消えた。

ネマが瓦礫から這い出し、血だらけの彼へ抱きつく。

「父さん、もう帰ろう」

オルディスは娘の髪を撫でた。伝えたいことはある。安心させたい。愛していると言いたい。だが口の中に残っているのは、敵から奪った死の音だけだった。

彼は昔、毎晩歌っていた子守歌を思い出した。旋律だけなら残っている。

歌い始める。

一音目は狼の遠吠え、二音目は兵士の絶叫、三音目は絞首台の縄が軋む声になった。

ネマは泣きながらも耳を塞がず、最後まで聞いた。

歌が終わると、オルディスの喉は縦に裂け、内側に何十もの小さな口が開いていた。そのどれも娘の名を知らなかった。