既読まであと五分

二十三時五十五分。鷺沼絃士のスマホに、たった一行が届いた。

《まだ、その曲を自分のものだと思ってる?》

送り主は、三年前に解散したバンドのギタリスト。画面右上には、レーベルとの電子契約の期限が出ている。零時までに相手から著作権譲渡の同意を得れば、絃士はその曲でデビューできる。

彼はすぐに打った。

《半分は君のものだ。条件を話そう》

二十三時五十九分五十九秒。「既読」が点く。

次の瞬間、二十三時五十五分。ひび割れた画面に同じ一行が浮かんだ。

二周目は謝罪した。三周目は取り分を七割まで上げた。四周目は未公開音源を世に出すと脅した。差分は増えても、返事は来ない。最後の一秒に既読がつき、時間だけが戻る。

《まだ、その曲を自分のものだと思ってる?》

六周目、絃士は通話をかけた。相手は出ず、代わりに共有フォルダの古い通知が開いた。

作成者:ROOK

更新日:解散の四か月前

中には、現在の曲と同じサビが入ったデモがあった。絃士は当時それを聞き、「使えない」と返している。解散後、キーだけ変え、自分の曲として登録した。

忘れていたのではない。成功した後で思い出さないよう、フォルダごと隠した。曲名だけは自分で付けた。そのことを根拠に、メロディまで自分のものだと何度も言い聞かせた。周回のたび、ひび割れた画面には、盗んだサビの波形が青く反射した。

八周目、絃士は最適な文章を作った。謝罪、金額、クレジット、将来の印税。送信すると、初めて返事が来た。

《同意する。ただし、君が自分の曲だと言うなら》

電子署名のボタンが現れる。押せば契約成立。目的は達成される。

絃士はボタンを閉じた。レーベルへ権利放棄届を送り、配信予約から自分の名を削除する。最後に相手へ一行だけ返した。

《思っていない。最初から君の曲だった》

「送信済み」の横に、すぐ既読がついた。返事はない。

零時。契約は失効し、デビュー予定のページが消えた。時計は零時一分へ進む。

スマホのひびに指を沿わせながら、絃士はトーク履歴を削除した。曲は失ったが、今度は消したことまで忘れないよう、空になった画面をしばらく見続けた。