昼寝のあとのコード

大津守剛臣は、稲城谷珠紀が昼寝をしていると思っていた。

午前中に家事を終え、午後一時から三時まで寝室へ入る。夕食で一品足りないと、剛臣は決まって言った。

「昼寝する余裕がある人はいいよな。誰のおかげで飯が食えてるんだ」

珠紀は、枕元のノートパソコンを閉じた。

彼女は寝ていたのではない。育児中の人が短時間で仕事を受発注できるシステムを開発していた。結婚前はプログラマーだったが、剛臣が転勤を理由に退職させた。その後、家事の隙間だけでコードを書き直した。

サービス開始から一年。登録者は五万人を超え、企業の採用担当者からも問い合わせが殺到した。

剛臣の会社でも、人手不足対策として導入説明会が開かれた。彼は総務主任として会場を整え、壇上へ現れた珠紀を見て凍りつく。

「開発会社〈スリーピー〉代表、稲城谷珠紀さんです」

契約額は年間八千万円。ほかに十六社が導入を決め、投資会社による評価額は六十億円になっていた。

剛臣は上司へ笑いかけた。

「妻の遊びを、僕が生活面で支えまして」

珠紀は利用統計を映す。

「開発時間は毎日二時間。家事育児の記録と照合すると、夫が家庭へ使った時間は月平均十一分でした」

会場に小さなどよめきが起きる。

剛臣は帰宅後、怒鳴った。

「会社で恥をかかせるな。代表でも母親なんだから、家庭を優先しろ」

珠紀はダイニングテーブルに離婚届と、新会社の保育支援規程を置いた。

「家庭を優先するよ。だから、家庭を壊す言葉を毎日使う人とは離れる」

珠紀は自分名義のマンションを購入し、母子の生活費を役員報酬だけで賄える。仕事は短時間労働の社員三十人が分担するため、一人で抱える必要もない。

剛臣は離婚届を見つめた。

「俺の会社との契約はどうなる」

「会社とは続ける。あなた個人と暮らす契約だけを終えるの」

取締役会から導入承認が届き、珠紀の法人口座へ初年度分が入金された。

離婚届の提出予約が確定した午後一時、剛臣が昼寝と笑った二時間は六十億円の会社となり、珠紀は初めて安心して眠れる家へ移ることになった。