曲がったコサージュ

細川志緒の卒業式は、胸を三度刺されるところから始まった。

「じっとして」

母はそう言いながら、造花のコサージュを制服へ留めようとしていた。安全ピンの先が布を抜け、志緒の肌へ当たる。痛い、と言うたび、母の眉間の皺が深くなった。

前の晩、二人は進学費用のことで言い争った。母は「奨学金を借りてまで行く必要があるの」と言い、志緒は「お母さんみたいになりたくない」と返した。言ってから、撤回できない言葉だと分かった。母は黙って台所へ行き、朝まで口をきかなかった。

玄関の鏡の前で、四度目の針が震えた。

「自分でやる」

志緒が手を伸ばすと、母は「できるから」と払いのけた。その指先に、小さな赤い点が浮かんでいた。よく見ると、針だけでなく、母の手そのものが震えている。夜勤明けのせいか、怒っているせいか、志緒には分からなかった。

五度目で、コサージュはようやく留まった。花は左へ傾き、葉の裏が見えていた。

「曲がってる」

志緒が言うと、母は直そうとした。けれどまた指を刺しそうで、志緒はその手を止めた。

「もういい。これで行く」

母は「そう」とだけ答えた。

式の間、志緒は何度も胸元を見た。周りの花は正面を向き、自分の花だけが廊下側へ傾いている。恥ずかしかった。けれど名前を呼ばれて立った瞬間、花の裏から安全ピンの銀色が光った。見えない場所でどうにか留められている自分たちみたいだと思い、少しだけ息ができた。

校門で母と写真を撮った。二人とも笑わず、花も曲がったままだった。撮影後、母が小さく言った。

「行きたいなら、行きなさい。返すのはお金だけでいいから」

謝罪でも祝福でもなかった。それで十分だとは思えなかった。それでも志緒は、「うん」と答えた。

十年後、妹の弥生が専門学校の入学式を前に、コサージュを持って志緒の部屋へ来た。母とはまだぎこちないらしい。

志緒は安全ピンを通し、一度失敗した。弥生が笑う。

「曲がってるよ」

「曲がったままでも、取れなければ大丈夫」

志緒は少しだけ位置を直し、完璧にはしなかった。胸元から手を離すと、弥生は自分で玄関の扉を開けた。