最後のサビを譲る
二十時五十五分、葛西奏真は楽屋で青いギターピックを拾った。
五分後は解散ライブのアンコール。十年間、代表曲として歌ってきた一曲を最後に演奏する。扉の前で、元ギタリストが腕を組んでいた。
「あの曲は、君が作った」
奏真が告げると、彼女は笑わなかった。
「今さら私の名前で歌えると思う?」
二十一時。暗転。客席の歓声が反転し、奏真は再び青いピックを拾っていた。
曲が生まれた夜、彼女が弾いたフレーズを奏真は自作として登録した。彼女はバンドを去り、曲だけが売れ続けた。CM、卒業式、結婚式。知らない誰かの人生を彩るたび、作者欄には奏真の名だけが残った。彼はその成功を理由に、訂正を先延ばしにした。今夜のライブ映像も、翌朝には永久保存版として配信される。ループの終了条件は、彼女がステージへ上がり最後のサビを演奏することらしい。楽屋の時計の下に、その一行だけが浮かんでいた。
二周目、印税の半分を渡すと言った。
「あの曲は、君が作った」
「半分? 盗んだ年月も割れるの?」
四周目、全額を提示した。六周目は観客へ謝る台本を見せた。それでも彼女は青いピックを受け取らない。
九周目、奏真は気づいた。自分は彼女に曲を返したいのではない。彼女をステージへ立たせ、最後まで「二人の物語」にしたかったのだ。
十周目。青いピックを拾い、同じ告白をする。
「あの曲は、君が作った」
「だから?」
「だから、僕は歌わない」
奏真は権利移転の送信ボタンを押した。曲名、バンド名、過去の売上まで、すべて彼女名義へ変更する申請だった。続いて自分のマイクをスタッフへ渡す。
「上がってくれとは言わない。君が歌わなくても、返す」
二十一時。暗転の代わりに客電が点いた。時計は二十一時一分へ進む。
観客はざわめき、違約金の通知がスマホを埋めた。彼女はピックを拾ったが、ステージへは向かわなかった。
奏真は非常口から外へ出た。背後で代表曲のイントロは鳴らない。初めて、その沈黙が彼女のものになった。