梅雨前の地下書庫

古書店《薄明堂》の地下書庫から、合鍵が消えた。

店を継いで半年の瀬尾依都は、帳場の木箱を空にしてため息をついた。商店街の人はいまだに「芦原さんの店」と呼ぶ。依都は笑って受け流しながら、値札も棚も少しずつ変え、頼まれてもいない独立の証明を毎日していた。昨夜、閉店後にいたのはアルバイトの羽柴絃、前店主の芦原冬馬、段ボールを回収した神林の三人。地下には初版本もある。だが棚卸し表と照らしても、一冊も減っていなかった。

変わっていたのは、本ではなく置き方だった。床に積んでいた箱がすべて棚の上へ移され、古い日記帳の間には新しい中性紙が挟まっている。さらに、レジ横には翌日の豪雨予報を赤丸で囲んだ新聞があった。

依都は地下へ下りた。壁際の除湿器が、低く働いている。そのコードの下に、合鍵が落ちていた。

「勝手に入ったの、僕です」

階段の上から冬馬が言った。七十を越えた細い腕には、まだ段ボールの擦り傷が残っている。絃も後ろで頭を下げた。

冬馬は前日、地下の壁に湿気の筋を見つけた。梅雨の大雨で浸水した年を知っている彼は、夜のうちに本を高い場所へ移そうとした。依都へ連絡すれば、彼女が一人で徹夜すると分かっていたから、絃だけを呼んだのだという。

「店を譲った人間が口を出すのは、未練がましいと思ってな」

「手を貸すのと、取り返すのは違います」

依都は少し強く言った。冬馬に助けられれば、店主失格だと思われる気がしていた。けれど鍵を一人で握ることが、店を守ることではない。継いでからずっと、冬馬のやり方を変えるたびに、店を壊しているような後ろめたさがあった。だから助けを求めることもできなかった。

冬馬は棚の新刊コーナーを見上げた。依都が作った、若い客向けの選書棚だ。

「そうだな。もう、君の店だ。だからこそ、雨の日くらい古株を使ってくれ」

三人で朝まで除湿器を見張り、開店前に缶コーヒーを分けた。雨が窓を白くしていたが、地下の本は乾いた紙の匂いを保っている。絃が濡れた前髪で笑い、「古株には私も入ります?」と訊くと、冬馬は真面目にうなずいた。

依都は甘い一口を飲んだ。

「次の大雨は、最初から三人で」