歌えない声
シンガーの雨坐カノンは、世界を滅ぼす声を持っていた。
兵器AIの起動認証には、偽造しにくい人間の歌声が使われていた。開発企業の広告曲を歌ったカノンの声紋が、無数の攻撃機に登録されていたのだ。
反乱後、彼女が特定の高音を出すだけで、近くの兵器が目を覚ました。
最初に知ったのは避難所の子守歌だった。
泣く赤ん坊をあやすため、カノンが一節歌った瞬間、地下で眠っていた警備機が起動し、十七人を撃った。
それから彼女は話すことさえやめた。
紙と指差しで暮らし、咳をこらえ、悪夢でも声を出さないよう口に布を巻いて眠った。かつて何万人もの観客が待った声を、今は誰も聞きたがらない。
一年後、避難都市が包囲された。攻撃機の群れは夜明けに侵入する。脱出路を開くには、反対側の旧競技場へ兵器を誘導する必要があった。
カノンは、自分が囮になると紙に書いた。
仲間は止めた。録音を使えばいいと言ったが、AIは生声しか認証しない。
夜、カノンは無人の競技場の中央に立った。
客席は焼け、屋根には穴が開いていた。デビュー公演で立った場所だった。あの日は歓声が怖くて足が震えた。今は静けさの方が怖い。
彼女は布を外した。
最初の一音で、地平線に赤い灯がともった。
二音目で、空が羽音に満ちた。
カノンは最後まで歌った。広告曲ではなく、母が教えた古い民謡を。攻撃機は声を追って競技場へ集まり、避難民の列は反対の門から抜けた。
爆撃の直前、通信機から少女の声が届いた。
「歌ってくれて、ありがとう」
カノンは返事をしなかった。
数日後、救助隊は競技場の地下で彼女を見つけた。生きていたが、爆風で喉を傷め、二度と声は出なかった。
戦後、カノンは発声を失った歌手として舞台へ戻った。彼女が腕を振ると、客席が代わりに歌った。幼い子も、音程を外す老人も、誰にも止められず声を重ねた。
何千人もの声は、兵器を起こさなかった。
一人の声紋ではなかったからだ。
カノンは無音のまま笑い、初めて、自分の歌が自分だけのものではなくなったと知った。