歓迎会を欠席する
八代文乃は、内定者チャットの歓迎会案内に「欠席」と入力した。
理由欄には、まだ何も書いていない。
内定を承諾したのは一週間前だった。急成長中の広告会社。面接では自由な社風を強調され、年齢に関係なく挑戦できると言われた。二十九歳で未経験職へ移る文乃には、その言葉が救いに聞こえた。
ところが招待されたチャットでは、歓迎会の服装について先輩社員がこう書いた。
〈女性陣は華やかめで。取引先も来るから、若手らしく場を明るくしてね〉
続けて、別の内定者が「お酒が飲めない」と書くと、〈最初くらいは頑張ろう〉というスタンプが返った。
文乃の画面には二件の案内が並んでいた。一件はその歓迎会。もう一件は、先月参加した業界勉強会の次回案内だった。後者には、服装自由、飲食は各自、途中退出可とある。
たった数行で会社を判断するのは早い。どこにでも軽口はある。せっかく得た内定を、気にしすぎで手放すのか。文乃は何度もそう言い聞かせた。
それでも、前の職場で「若い女性だから」と司会や給仕を任され、笑って受け流した五年間を思い出した。転職先でも最初の違和感を小さく丸めるなら、履歴書だけが変わる。
文乃はチャット画面を保存した。会社を告発するためではない。数か月後、就職活動に疲れた自分が『あれくらい我慢すればよかった』と違和感を小さく書き換えないためだった。辞退には、今日の感覚を未来の自分へ渡す証拠が必要だった。
人事へ電話をかけ、チャットの文面について確認した。担当者は笑い、「昔からのノリです。入れば分かりますよ」と言った。
文乃は用意していた質問を閉じた。説明を聞けば安心できると思っていたが、その笑い方が答えだった。
「承諾後で申し訳ありません。内定を辞退します」
声は震えた。担当者の声から温度が消え、手続きの説明だけが続いた。
通話後、文乃は歓迎会の理由欄に〈入社辞退のため〉と書き、送信した。次に勉強会の案内を開き、参加へ丸をつける。
内定を失ったのではない。自分で撤回した。その不格好な事実を、文乃は履歴書の空白より先に引き受けた。