水茄子を手で割る

榊原理玖は、バンドを辞める文章を三千二百字まで書いていた。

正確には、辞めさせられる側だった。

昼休み、グループチャットにボーカルから届いた。

〈次のライブ以降、理玖抜きでやろうと思う。方向性の話をしたい〉

五年弾いたギターについて、方向性の四文字で終わらせたくなかった。だから理玖は、結成当初の約束、曲作りへの貢献、機材車を出した回数まで並べた。相手が反論できない、整った別れの文章だった。

送信前に入った居酒屋は、夏前の雨で空いていた。客は理玖一人。短冊に「泉州水茄子 今夜から」とある。

店主は丸い茄子へ包丁を入れず、へたの下へ親指を差し込んだ。ぱき、と瑞々しい音がして、白い身が四つに裂ける。切り口には透明な雫が浮かび、青い草と土を合わせたような匂いがした。塩と少量の胡麻油をなじませただけで皿が出る。

理玖が噛むと、皮はきゅっと鳴り、中から冷たい水分があふれた。茄子なのに梨に近い甘さがある。

「包丁、使わないんですね」

「今日は手のほうが合うので」

店主の返事は、それだけだった。

理玖は自分の文章を読み返した。筋は通っている。けれど、五年一緒に音を出した相手へ送るには、切り口がきれいすぎた。そこには怒りだけで、悔しさも、まだ弾きたい気持ちも入っていない。

彼は全文を別のメモへ保存し、チャットから消した。そして録音ボタンを押す。

「分かった、とはまだ言えない。最後に一回、全員でスタジオ入らせて。借りてるエフェクターも返す。そこで話したい」

声の後ろで、店の冷蔵庫が低く鳴った。理玖は飾らず、そのまま送った。

返事は来ない。最後の練習を断られる可能性もある。戻れたとしても、元通りにはならない。

保存した三千二百字は削除しなかった。怒りまでなかったことにすれば、また別のきれいな嘘になる。理玖は明日のスタジオ代を確認し、自分の分だけ先に振り込んだ。

皿に残った水茄子を手でさらに二つへ裂いた。指先に塩水がつき、舐めると少しだけ苦かった。身の中央には、雨で冷えた夜よりも確かな冷たさが残っていた。