泣き屋、休業中

鍛冶屋敷伶花は、他人の葬式で泣く仕事をしていた。

悲嘆抑制が常識になってから、遺族は通夜の翌日には職場へ戻る。涙のない葬儀は効率的だが、映像にすると冷たく見える。そこで式場は、故人の略歴を聞き、頃合いよく声を震わせる「哀悼演者」を雇った。

伶花は名人だった。幼い写真では鼻をすすり、長い闘病の話では静かに頬を濡らす。参列者は彼女につられて目を伏せ、式は人間らしく整った。

妹の澄絵が事故で死んだ日、伶花にも標準処置が施された。遺族の判断力を保つためだ。母はすぐに遺品整理を始め、父は保険の書類を揃えた。伶花も葬儀社へ電話し、進行表を確認した。

担当者は言いにくそうに告げた。

「ご家族は抑制中ですので、哀悼演者を一名追加します」

「私がやります」

「近親者は演技と実感の混同が起きるため禁止です」

妹の葬儀で、見知らぬ女が泣いた。澄絵が猫舌だったことも、恋人に振られると風呂で歌ったことも知らないのに、きれいな涙を流した。伶花はその横顔を見ながら、演技の呼吸が正確だと評価していた。

式のあと、母が言った。

「いいお葬式だったわね」

伶花は頷いた。何かが決定的に間違っているのに、悲しくないため、どこが間違いか説明できなかった。

翌週、仕事へ戻った。九十二歳の男性の葬儀で、依頼されたとおり泣こうとしたが、涙が出なかった。抑制剤は自分の悲嘆だけでなく、他人の物語へ入り込む道まで塞いでいた。

伶花は舞台中央で黙った。予定された嗚咽が来ないため、会場がざわめいた。彼女は故人の孫へ尋ねた。

「この方の、いちばん困った癖は何でしたか」

孫は戸惑いながら、「勝手に冷蔵庫のプリンを食べる」と答えた。別の親族が笑い、また一人が「靴下を裏返しで洗濯に出す」と続けた。やがて会場には、泣き声ではなく故人への文句が満ちた。その文句の端々に、薬では消せない愛着が見えた。

伶花はその日、泣き屋を休業した。代わりに葬儀で、参列者から故人の迷惑な思い出を聞く仕事を始めた。

一年後、悲嘆抑制を終えた朝、妹が死んだ日の痛みが遅れて戻った。伶花は三日間仕事を休み、風呂場で澄絵の下手な歌をまねしながら泣いた。

誰にも見せる必要のない、役に立たない涙だった。だからこそ、ようやく妹のものだと思えた。