海が写らない写真

二十七歳の真壁文香の休日は、投稿する写真を撮るためにあった。評判のカフェ、季節の花、海の見える階段。食品会社の広報をしているせいもあり、構図と光を考えるのは得意だった。けれど帰宅後、百枚から一枚を選ぶ作業を終えると、その場所で何を感じたのか思い出せないことが増えた。友人から旅行の感想を聞かれ、海の色ではなく、投稿が何件保存されたかを答えそうになったことがある。画面の中では毎週どこかへ出かけているのに、アルバムを閉じると、休日は編集作業の記憶しか残らなかった。

夏の終わり、海辺の遊歩道で沖野マヤがウクレレを弾いていた。小さな楽器の乾いた音に、波の低い音が重なる。歌詞のない曲だったため、文香は投稿文に使える物語を探した。けれど、風で何度も音が欠け、きれいな説明にはまとまらなかった。文香は夕日を背にした演奏家の写真を撮ろうと、立ち位置を変えた。砂へ靴が沈む感触さえ、画角を乱す邪魔だと思った。

マヤが弾きながら聞いた。

「写真の外側には、何が残りますか」

文香は画面を見た。空と海と演奏家がきれいに収まり、外側には観光客の荷物と、濡れた砂と、風で乱れた自分の髪がある。

「この曲が終わるまで撮らないで。終わっても欲しかったら、一枚だけ」

マヤは答えを待たず、同じ旋律を最初から弾いた。文香はスマートフォンを下ろした。最初の一分は、逃している光ばかり気になった。やがて波が靴底の近くまで来て、塩の匂いが強くなる。子どもが貝殻を拾って笑い、その笑いにマヤの高い和音が重なった。

曲が終わるころ、夕日は雲へ半分隠れていた。完璧な橙色ではない。マヤが顎でスマートフォンを示す。文香はカメラを開き、海へ向けた。画面には水平線がある。撮影ボタンの上に指を置く。

そのとき、冷たい波が靴先を濡らした。文香は声を上げて笑った。画面は揺れ、海は斜めになった。

彼女は撮影せずにスマートフォンを鞄へ入れ、靴と靴下を脱いだ。投稿する写真のない夕方へ、裸足で一歩入った。