海を渡る合鍵

十六時十分。能勢映司は、島を出る最終船の甲板でロープが外されるのを待っていた。三枝有栖が港へ着くなら、あと十分しかない。

掌には、珊瑚の欠片をつけた合鍵がある。映司が営む小さなゲストハウスの裏口の鍵だ。有栖は那覇から月に一度来て、客室のシーツを干し、最終便で帰った。台風で船が止まった夜、珊瑚に日付を彫り、「いつか帰る側をやめる」と笑った。鍵穴に砂が噛むたび、有栖が細い針で掃除してくれた。裏口の壁には、彼女が来た日の船便番号を鉛筆で書き残してある。欠航した日は番号の代わりに波の絵が増えた。

だが半年、彼女は一度も来なかった。

父親の店を継ぐことになった、とだけ聞いた。電話では「島では暮らせない」と言われた。映司はそれを、自分とは暮らせないという意味にした。ゲストハウスを売り、本土の会社へ就職を決めた。

十六時十三分、有栖から着信する。

「鍵、まだ持ってる?」

「今日、買い主に渡す」

「待って。港にいる」

見渡しても姿はない。対岸の防波堤に人影が走っているが、ここから顔までは分からない。

「どこの港だよ」

「泊港。船が欠航して――」

那覇だった。映司の島までは高速船で二時間。間に合うはずがない。

「もういい。有栖は店を選んだ。俺も島を出る」

「違う。店を売ったの」

「父親の店を継ぐって言っただろ」

「継いで、売る手続きをした。借金ごと片づけないと、そっちへ行けなかった」

船のエンジンが唸る。通話が切れた。

十六時十八分、仲介会社から転送メールが届く。ゲストハウスの購入希望者名は三枝有栖。入金確認が遅れ、契約書の送付が今日になったとある。彼女は店を失わせないため、映司に黙って買い戻そうとしていた。

〈島では暮らせない〉の続きも届く。

〈客としては、もう暮らせない。次は持ち主として帰りたい〉

タラップが上がる。有栖から、那覇発の貨物船に乗せてもらえることになったと写真が来た。到着は深夜。映司は今、反対方向へ出港する。

彼は船員に降りたいと叫んだが、岸との隙間はもう人ひとり分を越えていた。

映司は珊瑚の合鍵を、売買契約の封筒へ入れた。そして船が本土へ向きを変える前に、港の係員へ投げ渡した。