海底から帰る鎖
夜明け前の漁港で、底引き網を巻くウインチが途中停止した。網の中には一晩分の魚が入り、潮は港外へ流れ始めている。網代征司が船へ飛び移ると、船長は安全装置の解除レバーに手を掛けていた。
「ロードセルが過負荷を出した。だが波は穏やかだ。誤報なら解除して巻く」
征司は表示を見た。荷重は上限に張り付いたまま、波で船が上下しても一度も動かない。実際の重さなら数字が揺れる。センサーから制御盤へ入る線をたどると、甲板の角で被覆が裂け、海水がコネクターへ入っていた。
船長が再び解除へ手を伸ばす。征司は先に、ドラムを止める爪を手動で落とした。ウインチ内部のウォームギアには逆転しにくい性質があるが、摩耗していれば荷重で戻る。表示を信用できない状態で制御を外せば、網が一気に沈み、甲板の人間をロープが薙ぐ。
彼は全員を黄色線の外へ出し、別の滑車へ補助ロープを取った。荷重を二系統に分けてから、濡れたコネクターを外す。端子は緑色に腐食していた。予備ケーブルを甲板の内側へ通し直し、角には保護管を巻いた。
補助ロープを取る間、若い甲板員が一度だけ張ったロープをまたごうとした。征司は怒鳴らず、その足元へ魚箱を置いて通路そのものを塞いだ。注意は波音に消えるが、障害物は消えない。船長はそれを見て、残りの作業員を反対舷へ移した。修理は部品より先に、人の動線を直していた。
電源を戻すと、ロードセルは七割の荷重を示した。波に合わせて数字が上下する。征司は最初の一メートルだけ低速で巻き、爪が一段ずつ確実に掛かる音を聞いた。それから通常速度へ上げた。
網が海面を割り、銀色の魚が照明を跳ね返した。船長は解除レバーから手を離し、「誤報でも、重さは消えないんだな」と言った。
午前五時半、魚箱が市場へ運ばれ始めた。征司が濡れたケーブルを証拠袋へ入れると、隣の船から手が上がった。今度は揚錨機が空回りしている。港は明るくなっても、修理屋の夜勤は終わらなかった。