海辺の現場から

「現場が終われば、ここで解散です」

海辺のホテル建設が始まった日、本多理沙は安全朝礼でそう言った。

現場監督の井上一樹とは二年間、仮設事務所で机を並べた。潮風で図面がめくれれば一樹が押さえ、理沙が徹夜しそうな夜は、彼が無言でヘルメットを取り上げた。けれど工事が終われば、社員は次の土地へ散る。それがこの仕事の普通だった。

竣工一週間前、一樹の次の赴任先が山間部のトンネル現場に決まった。海から六時間。完成の喜びより、仮設事務所の空く机ばかりが目についた。

一樹のヘルメットから現場名のシールがはがされ、理沙の隣のロッカーには《返却済》の札が貼られた。毎朝二人で飲んだ缶コーヒーの箱も空になった。周囲は次の現場の話で盛り上がるのに、理沙だけが完成写真をうまく見られなかった。

最終日、二人は壁に残った工程表をはがした。窓の外では、新しいホテルのガラスが夕日を返している。

「これで全部ですね」

理沙が言うと、一樹は最後の地図だけを残した。海辺の町と山の現場の間に赤い線が引かれ、途中の駅へ丸が三つついている。

「どこですか」

「交代で会う場所です。一回目は僕がこっちへ戻る。二回目は真ん中。三回目は、理沙が山を見に来る」

名前で呼ばれたことより、三回目まで決められていることに息が詰まった。

一樹は現場用の共有カレンダーを閉じ、自分のスマホを差し出した。最初の日曜には、海辺の食堂が二名で予約されている。

理沙は承諾を押したあと、三回目の予定を一週間早めた。

「待てません」

「何を?」

「山を見るのも、一樹に会うのも」

送迎バスのクラクションが鳴る。一樹が荷物へ手を伸ばしたので、理沙はその手を先につかんだ。作業用手袋を外した掌は、思っていたより温かい。

同僚たちが乗り込んでも、二人は最後まで離れなかった。やがて理沙から彼をバスへ引き、隣の席へ座る。

「駅までは同じ方向です」

「駅の先は?」

理沙はつないだ手を膝の上へ置いた。

現場が終われば、ここで解散。

だから二人は、現場の外で会い続ける関係へ変わった。