消えた試作機の熱

白妙森瑛典の机から、黒いノートパソコンが消えた。

市販ロゴのない厚い筐体で、友人の鷹杜谷宗章は以前から「余ってるならちょうだい」と言っていた。

「仕事用だから無理」と断ると、宗章は笑った。

「パソコンなんて何台も持ってるだろ。友達に一台回せないほどケチなのか」

その週末、瑛典が外出している間に、宗章はベランダの合鍵ケースを開け、試作機を持ち出した。防犯通知が届いたときには、すでに電源が入っていた。

宗章は電話で言った。

「動画編集に使うだけ。返すとき初期化するから問題ない」

翌日、試作機は異臭を放つ状態で玄関に戻された。内部は高温で変形し、基板の一部が焼けている。宗章は暗号資産の計算処理を一晩中動かし、冷却口を布団で塞いでいた。

さらに悪いことに、その機械は瑛典が勤める半導体会社の次世代プロセッサー評価機だった。発売前の設計情報と試験データが保存され、持ち出し禁止の管理対象になっている。

宗章は青ざめたが、すぐ言い返した。

「秘密なら、家に置くほうが悪い。データは見てない。壊れた部品代だけなら払うよ」

会社の情報管理担当が端末ログを確認した。

宗章は外付け記憶装置を接続し、評価ソフトをコピーしていた。副業サイトには〈未発売チップのベンチマーク公開〉という有料記事の予告があり、画面写真も掲載されている。端末のカメラには、宗章が「友達の会社の試作品だから独占情報」と話す動画まで残っていた。

機械そのものの評価額は三百万円。しかし設計情報流出の調査、開発日程の変更、顧客説明にかかる損害は桁が違った。

宗章は瑛典へ詰め寄った。

「会社に、俺は知らなかったって言ってくれ。友達を破産させたいのか」

瑛典は焼けた筐体を指した。

「知らない物を勝手に持ち出して、秘密だと宣伝したのは君だ」

会社は流出範囲が限定的だったため、営業秘密の使用差止めと損害賠償を求め、宗章の有料記事収益を保全した。宗章は副業契約を失い、預金と車を処分して頭金を払い、残額を長期分割で弁済することになった。

試作機の遠隔管理画面に〈廃棄・原因:第三者の無断使用〉と確定記録が入り、宗章の全コピーが削除確認された瞬間、ただでもらうはずだったパソコンは、彼が一生で最も高く買った壊れた機械になった。