演劇部の大傘
豪雨が始まったとき、昇降口に傘は一本しかなかった。
正確には、一本という数え方でいいのかわからない。演劇部が去年の公演で使った、直径二メートル近い赤い傘だった。倉庫へ返し忘れたらしく、傘立てから堂々とはみ出している。
「これで帰るの?」
同じ係の彼女が、真顔で聞いた。
「濡れるよりはいい」
「目立つより濡れるほうがいい」
「風邪ひくぞ」
「社会的には死ぬ」
結局、二人で赤い大傘を開いた。
校門を出た瞬間、部活帰りの生徒たちから拍手が起きた。バス停の小学生は「きのこだ」と叫び、向かいのパン屋さんは店内から写真を撮った。
彼女は傘の奥に顔を隠した。
「だから嫌だったのに」
「でも全然濡れない」
「心がずぶ濡れ」
傘は大きすぎて、電柱にぶつかり、街路樹の枝を揺らし、狭い歩道では通行人全員に道を譲ることになった。そのたび彼女と相談して傘を斜めにした。息を合わせないと進めない。
交差点で強い風が吹いた。
大傘が帆のようにふくらみ、僕たちは同時に柄へしがみついた。彼女の手が僕の手の上に重なる。
「離したら飛ぶ!」
「どっちが!」
「傘も、たぶん私たちも!」
笑いながら必死で耐えた。信号が青になっても渡れず、また赤になった。
ようやく駅の屋根へたどり着くと、彼女は傘の下から出て、濡れていない制服を見下ろした。
「……悔しいけど、役に立った」
「演劇部に返さないとな」
「明日?」
「明日は晴れ」
「じゃあ二人で運ぶ?」
「一人でも持てる」
「持てるかどうかじゃなくて」
彼女はそこで言葉を切り、赤い傘を閉じた。巨大な布が二人の間へ垂れ下がる。
「今日みたいに、恥ずかしいことは半分にしたほうがいいから」
翌朝、空は快晴だった。
僕たちは赤い大傘を肩に担ぎ、登校した。昨日よりずっと目立ったが、彼女はもう顔を隠さなかった。
演劇部の先輩は傘を見て言った。
「それ、恋人同士が逃避行する場面の小道具だよ」
彼女と僕は同時に手を離し、大傘だけが廊下に派手な音を立てて転がった。