濡れたページを立てる

古書店「梟堂」の天井から水が落ち始めたのは、買取客も来ない月曜の午後だった。白石宗悟がバケツを置くより早く、文庫棚の一段が濡れた。

「寝かせるな。立てて隙間を作る」

瀧本が新聞紙を床へ敷いた。二人は本を一冊ずつ開き、吸い取り紙を挟んだ。濡れた紙は力を入れると破れる。白石がページを持ち上げ、瀧本が細く切った紙を滑り込ませた。

大家からは、屋根の修理代は出せないと言われている。売上は三か月連続で家賃以下。店主は「今度こそ閉めるかも」と毎週言い、今週は言わなくなった。

白石も昨日、部屋を追い出された。家賃を二か月滞納し、朝から持ち歩いているキャリーケースはレジの裏に隠してある。瀧本には見られたくなかった。三年前、住む場所を失った瀧本へ、白石は「店を宿にするな」と言ったことがある。

水滴は別の棚へ移った。二人は本を抱えて奥へ運んだ。文学、歴史、料理。分類を守る余裕はなく、濡れた順に机へ立てた。扇風機を三台回すと、店内は紙と黴の匂いで満ちた。

「これ、もう売れませんね」

白石が波打った詩集を見せた。

「読める」

「商品にならない」

「商品でなくなっても、本ではある」

瀧本は表紙を拭き、値札だけ剝がした。その言葉が自分に向けられた気がして、白石は黙った。

夜までに百七冊を処置した。完全に乾くには何日もかかる。雨漏りも止まっていない。店の口座に修理代がないことも変わらなかった。

瀧本は倉庫の上段から、売れない百科事典を下ろし始めた。白石が理由を聞くと、「湿気は下に溜まる」とだけ答えた。空いた棚は、キャリーケースが横向きに収まる高さだった。

閉店後、白石はケースを引いて外へ出た。駅のベンチなら始発までいられる。けれど通りの角で雨脚が強まり、濡れた本のページが頭に浮かんだ。

店へ戻ると、瀧本は何も聞かず裏口を開けた。白石はケースを空いた上段へ載せ、代わりに濡れた詩集を一冊、乾燥中の列へ立てた。扇風機の風が、二人の間でページを小さく震わせていた。