熱を測らない夜

 鷲崎葉子は動物病院の看護師で、家でも何でも観察する癖がある。

 九歳の帆足真尋を里子として迎えてからは、食欲、睡眠、顔色を毎日気にした。

「今日、給食は全部食べた?」

「うん」

「頭痛は?」

「ない」

「喉は?」

「普通」

「普通を詳しく」

「葉子さん、病院じゃないよ」

 ある晩、真尋がソファで丸くなっていた。

 葉子はすぐ体温計を出す。

「熱ない」

「測ってない」

「分かる」

「分からないから測る」

 真尋は渋々、脇へ挟んだ。

 三十六度七分。正常だった。

 それでも葉子は、夕飯を雑炊にした。

 ごはんを出汁で煮て、溶き卵を流し、生姜を少し入れる。

「元気なのに病人食」

「消化にいい」

「唐揚げがよかった」

「明日」

 真尋は不満そうに匙を持ったが、二杯食べた。

 食後、葉子は毛布を掛け、額へ手を当てた。

「冷たい」

「葉子さんの手が冷たい」

「そうか」

「僕じゃなくて、葉子さんが疲れてるんじゃない?」

 言われてみれば、葉子は朝から病院で立ち通しだった。

 帰宅後も洗濯、食事、明日の準備。真尋の様子ばかり見て、自分の肩が固いことには気づかなかった。

「じゃあ、僕が診る」

 真尋は葉子の手首を取り、時計を見ながら脈を数えるふりをした。

「診断は?」

「寝不足。あと質問しすぎ」

「治療は?」

「テレビ一話。お茶。体温計禁止」

 医療的根拠はなかったが、葉子は従った。

 二人でソファへ座り、録画していた旅番組を見た。

 真尋は途中で眠り、葉子の肩へ頭を預けた。

 葉子は体温計へ手を伸ばしかけ、やめた。

 額へ触れなくても、穏やかな寝息で十分だった。

 翌朝、真尋は元気に起きた。

「唐揚げ」

「覚えてたか」

「処方された」

 葉子は弁当へ唐揚げを二つ入れ、自分の昼食にも同じものを詰めた。

 台所には揚げ油と生姜の香りが残った。

 家族になることは、相手を毎日正しく測ることではない。

 大丈夫そうなときは大丈夫と信じ、疲れた方が肩を借りることでもあった。

 体温計は引き出しにしまわれ、その夜のソファには、二人分のぬくもりだけが残った。