王子様の空室
満室の夜に、副社長の息子は最上級客室を三つ空けろと言った。
鶴丸景親が友人を連れてきたのだ。
「うちのホテルなんだから当然でしょ」
「その客室は海外財団の代表団が予約しています」
「綿貫さん、客より俺を優先できないなら接客向いてないよ」
代表団は翌朝、全国二十館を使う長期契約に署名する予定だった。年間売上の一割を左右する案件だった。予約部は半年かけて条件を詰めていた。景親は彼らの荷物を廊下へ出させ、自分の友人を部屋へ入れた。
私は閉鎖中だった旧館を開けた。耐震補強を終えたばかりで、客室としてはまだ登録前だったが、安全確認だけは済んでいた。夜勤の仲間と二時間で清掃し、倉庫の寝具を運び、料理長には冷えた夕食を作り直してもらった。暖房が安定するまで、私は一室ずつ湯たんぽを置いた。
代表団長は怒鳴らなかった。古い梁を見上げ、「追い出された夜に、この国で一番美しい部屋へ案内された」と静かに笑った。翌朝、同行者たちは中庭の雪を撮りながら、私たち全員の名前を尋ねた。
翌朝の契約会議。副社長は先に謝罪した。
「綿貫の部屋割りミスで、ご不快な思いを」
代表団長は契約書を閉じた。
「私たちは、息子さんに追い出されました。救ってくれたのは綿貫初穂さんです」
監査役がもう一冊の帳簿を開いた。景親の宿泊、飲食、送迎はすべて接待費。副社長が一年以上承認していた。臨時取締役会は副社長の解任を可決済みだった。
景親は脚を組んだまま言った。
「父が辞めても、創業家の名前は残る。俺を切れば、このホテルが困るよ」
代表団長は万年筆を取り直した。
「では条件を書き加えましょう。全館の運営窓口を綿貫さんとすること。鶴丸氏が業務へ関与しないこと」
社長がうなずいた。
「その条件を受けます。景親君は職務放棄と不正利用により懲戒解雇。綿貫さんを宿泊統括部長に任命します」
景親は立ち上がり、専用エレベーターへ逃げた。
金色のカードをかざしても、扉はもう開かなかった。