生姜のきいたレバー

丹羽幹也は、明日の自己紹介を頭の中で何度も練習していた。

 前職では十二人のチームをまとめる課長代理だった。昇進候補に二年続けて残り、二年続けて選ばれなかった。三度目を待たず、専門職を募集していた小さな物流会社へ転職した。肩書きはなくなり、年下の主任の下で業務改善を担当する。

 最終日、部下だった一人から『丹羽さんがいなくなると、誰に相談すればいいですか』と聞かれた。嬉しいはずの言葉が、引き留める鎖のようにも、役職の代わりの勲章のようにも聞こえた。幹也は連絡先だけ渡し、うまく答えられなかった。

 転職を決めたときは、管理職になりたいわけではなかったのだと納得した。ところが最終出勤を終えると、名刺から役職が消えることばかり気になった。明日の挨拶で「前職では課長代理として」と言えば、少しは軽く見られずに済む気がする。

 居酒屋「薄明」の店主は、鶏レバーを生姜と醤油で煮ていた。小鍋から甘辛い湯気が上がり、煮汁がとろりと泡を作る。箸で割ると断面は暗い赤色で、鉄に似た匂いのあとから生姜の辛さが鼻へ抜けた。

「苦いですね」

「レバーだからな」

「もっと煮れば消えますか」

「固くなる」

 店主は火を止めた。

 幹也は新しい会社の社員一覧を開いた。直属の主任は二十六歳。幹也より三つ若い。経歴には現場配車からの昇格とある。課長代理だったことを先に言えば、相手を試すように聞こえるかもしれない。それでも言わなければ、自分の五年間が消えるようで怖かった。

 明日の挨拶は、「丹羽幹也です。物流の現場は未経験です。改善業務の経験はあります」とだけ言うことにした。役職ではなく、使える部分と知らない部分を並べる。年下の主任に教わることも、できないふりをすることもない。

 昇進できなかった理由は今も分からない。新しい会社で専門家になれる保証もない。幹也はもう一切れを口へ運んだ。苦みは消えなかったが、生姜の熱が舌の奥まで届き、甘い煮汁がその輪郭を少しだけ丸くした。