痛みの無期限契約
硯川礼央の両脚は、九十二年間燃え続けていた。
工場事故で神経を損傷したあと、不死化処置は肉体を完全に再生した。ところが脳が覚えた痛みだけは消えなかった。医師AIは「生命に危険なし」と診断し、保険は治療を打ち切った。
礼央は感覚抑制器を使った。痛みは十分の一になったが、喜びも怒りも愛情も同じ割合で薄くなった。妻が家を出たときも、娘が百歳の誕生日を迎えたときも、礼央は正しい言葉を選べたが、胸は動かなかった。
娘が家を離れた理由も、礼央には分かっていた。幼いころ転んで泣いた娘へ、抑制器をつけた彼は「損傷なし」とだけ答えた。抱きしめるべき場面を何度も診断結果で済ませ、痛みを避けるうちに、他人の痛みまで遠ざけていた。
娘に子どもが生まれた。出生制限の時代には、奇跡に近い出来事だった。
「抱いてみる?」
礼央は断った。抑制器越しでは、赤ん坊を落としても焦らないかもしれない。娘は何も言わず帰った。
その夜、礼央は九十二年ぶりに抑制器を切った。足元から灼熱が駆け上がり、床へ倒れた。痛みの中で、同時に恐怖と後悔が戻ってきた。彼は這って端末へ向かい、娘へ電話した。
翌日、娘は赤ん坊を連れてきた。礼央は五分だけ抑制を切り、毛布ごと抱いた。脚は焼け、汗が噴き出した。それでも腕の中の重さと、乳の匂いと、小さな指が胸毛をつかむ感触があった。
五分後、器械を戻すと世界はまた遠くなった。だが、ゼロではなかった。
礼央は毎週日曜の午後、十分だけ感覚を戻すことにした。それ以上は耐えない。英雄になるためではなく、痛みと人生の双方に時間割を作るためだった。
同じ症状を持つ人々と団体を作り、国へ「生存」だけでなく「休息する権利」を求めた。永遠に耐えられる身体だからといって、永遠に耐える義務はないと訴えた。
一年後、娘がまた訪ねた。
「今日は切る日?」
「うん。十分だけ」
礼央は赤ん坊を抱いた。痛みで泣いたのか、嬉しくて泣いたのか、自分でも分からなかった。分からないほど混ざっていることが、少しだけ人間らしかった。