白旗を結ばない夜

白い布が、槍の穂先に結ばれていた。

「これを掲げれば、夜明けまで休戦だ」

同盟軍の将、ローデンが前の人生と同じ言葉を告げた。

辺境守備隊長イルザは、その休戦契約に血判を押した。深夜、同盟軍は「負傷兵の搬送」を名目に砦へ入り、門番を殺した。敵軍と内通していたローデンは砦の鍵を渡し、イルザだけを敗戦の責任者に仕立てた。

斬首の刃が落ちた瞬間、彼女は休戦交渉の天幕へ戻った。

油灯の火。湿った地図。槍先の白布。すべてが同じ位置にある。

「敵は強い。兵を休ませなければ全滅する」

ローデンは署名欄を指で叩いた。

前回のイルザは、部下を救いたい一心で頷いた。

今回は血判用の短剣を取り、親指ではなく契約書そのものを切り裂いた。

「休戦は拒否する」

副官たちが息を呑む。ローデンの顔に、ほんの一瞬だけ苛立ちが浮かんだ。

「正気か? 白旗を掲げなければ敵は攻めてくるぞ」

「掲げれば、お前が入ってくる」

イルザは槍を奪い、白布を油灯へ近づけた。布は燃えず、代わりに紫の煙を上げる。停戦旗に使う麻ではない。敵の夜襲部隊へ門の位置を知らせる発光布だ。

「なぜ、それを……」

前の人生で、焼け落ちた砦の上だけ紫に光っていた。その意味を死ぬまで考え続けた。

イルザは天幕の外へ槍を投げた。紫煙が立ち上った途端、闇の中から無数の火矢が飛ぶ。だが砦ではなく、何もない交渉場へ集中した。待ち伏せていた敵兵たちが、自ら潜伏場所を露わにする。

守備隊の弩が一斉に向けられた。

ローデンが出口へ走る。彼の胸元から敵軍の通行証が落ち、地面に転がった。

「誤解だ。俺は双方を救おうと――」

「では敵将の印がある理由を、軍法官に説明しろ」

拘束縄がローデンの両腕を締める。

前の人生では、契約成立を告げる三度の鐘の後、砦の門が内側から開いた。

一度。二度。三度。

イルザは剣柄を握る。

門は閉じたままだった。

代わりに見張り台から、初めて聞く声が降ってきた。

「敵伏兵、総崩れ! こちらの損害、ゼロです!」