百円の戦場
鷺沼いすずが戦争を買ったのは、夏休みの自由研究のためだった。
記憶市場では、娯楽用に加工された兵士体験が人気だった。銃撃戦の恐怖は薄められ、勝利の高揚だけが強調されている。だが、加工前の古い戦場記憶は市場AIから「不快・画質不良」と判定され、一件百円で投げ売りされていた。
十六歳のいすずは、祖父が参加したという内戦を選んだ。英雄だったと家族から聞かされていたからだ。
再生すると、祖父の視界はほとんど地面を向いていた。泥、破れた靴、吐瀉物。敵の顔は見えない。代わりに、同じ部隊の若者が「母さん」と何度も呼び、祖父はその口を手で塞いだ。隠れていた場所が知られるからだった。
次の場面で、祖父は民家の戸を蹴破った。中にいた家族へ銃を向け、食料を奪った。最後に、小さな女の子が落とした赤い髪留めを拾い、ポケットへ入れた。
再生はそこで終わった。
いすずは吐いた。学校では、祖父の部隊が町を救ったと習っていた。帰宅して問い詰めると、祖父は長い沈黙のあと、机の引き出しから赤い髪留めを出した。
「忘れたくて売った。だが、忘れたら英雄の話だけが残った」
記憶を売った人間には、出来事の輪郭は残っても痛みがなくなる。祖父は式典で敬礼し、勲章を受け取りながら、なぜ夜に眠れないのか分からなくなっていた。
いすずは自由研究に、祖父の名前を書かなかった。代わりに「百円で買える勝者の罪」と題し、市場で廃棄される未加工記憶の数を調べた。発表は学校から止められた。遺族への配慮と、国家の安全保障に反するという理由だった。
祖父は発表会の日、客席の最後列に座った。いすずは許可された題目を読み上げたあと、原稿を閉じた。
「私が見た戦争には、英雄はいませんでした」
教師が音声を切るまでの十七秒、彼女は赤い髪留めを掲げた。
帰り道、祖父は震える声で「ありがとう」と言った。いすずは礼を受け取らなかった。代わりに、持ち主を探そうと提案した。
百円で買った過去は、家族の誇りを壊した。けれどその破片から、祖父が死ぬまでに返すべきものが、初めて見える形になった。