百円玉の返し方

文化祭のクラス喫茶が閉店し、透花はレジ箱の硬貨を十枚ずつ並べていた。教室にはコーヒーの匂いと、剥がしたメニュー表のテープ跡が残っている。

合計は、帳簿より百円少なかった。

「もう一回、数える?」

会計係の直央が向かいへ座った。透花は三度目の計算を始めたが、結果は同じだった。理由は分かっている。

午後、母が客として来た。離婚して家を出てから二年、学校行事に姿を見せたのは初めてだった。透花は制服の上にエプロンを着たまま、他人のように注文を取り、五百円を受け取った。お釣りを渡すとき、わざと百円多く掌へ置いた。母は気づかなかったのか、気づいて何も言わなかったのか、硬貨を握って出ていった。エプロン姿を褒めることも、久しぶりと笑うこともなかった。その背中を見送ったあと、透花は注文票を一枚、意味もなく破った。

また返しに来る理由ができればいいと思ったのだ。そんな自分が情けなくて、直央には言えなかった。

直央は自分の財布から百円玉を出し、レジ箱のそばへ置いた。

「これで合う」

透花はすぐにその硬貨を押し戻した。

「合わない。数字だけでしょ」

声が震えた。直央は少し驚いた顔をしたが、訊かなかった。百円玉を財布へ戻し、帳簿の不足欄を空白のままにした。

透花は自分の小銭入れを開いた。文化祭で使うつもりだった百円玉を一枚取り、レジ箱へ入れる。軽い音がした。母とのあいだに作った借りは、それでは消えない。けれど、会う口実を数字に隠すのはやめられる。

集計を終え、直央が先に教室を出た。透花は一人になった窓際の席で、しばらくスマートフォンを握った。母とのトーク画面は、二年前の「元気でね」で止まっている。

〈今日、来てくれてありがとう〉

そこまで打って消した。代わりに、

〈百円のことじゃなくて、今度ちゃんと話したい〉

と送った。

廊下から、片づけを終えたクラスメイトの笑い声が近づいた。既読はつかなかった。それでも透花はスマートフォンを伏せ、レジ箱の蓋を閉めた。

百円は戻した。次に会う理由は、自分の言葉でつくる。