私の声ではない

不破玲歌が病室で亡くなった翌朝、人気歌手・相良弦葉の公式チャンネルに未発表曲が上がった。投稿者は玲歌。公開日時は、半年前に設定されていた。

タイトルは『NOT MINE』。

イントロで鳴ったのは、弦葉の声だった。息の混じる低音、語尾だけ細く揺らす癖、ライブでは再現できない透明な高音。完璧すぎて、本人である弦葉が最初に偽物だと感じた。自分の喉より、自分らしかった。

「私の声ではない」

一行だけのフレーズが、機械的なリズムに乗る。

玲歌は十年間、弦葉の全曲を作った。レコーディングでは必ずブースを暗くし、「集中のため」とスタッフを外へ出した。弦葉は短い仮歌を録り、完成版を後から受け取るだけだった。歌唱力を疑う記事が出るたび、玲歌は「加工も表現」と笑って守った。

Aメロが終わると、画面に十本の波形が現れた。デビュー曲から最新曲まで。一本ずつエフェクトが外れ、ピッチ補正が消え、伴奏が剥がれていく。

残った裸の声は、弦葉ではなかった。

玲歌だった。

病気で表舞台に立てなかった彼女が、弦葉の癖まで覚え、十年間すべてのサビを歌い直していた。コメント欄は最初、演出だと笑っていた。だが曲ごとの録音日、原本の指紋、息継ぎの違いが映るにつれ、笑いは告発へ変わった。

「私の声ではない」

二度目のフレーズだけ、弦葉自身の未加工音声だった。音程は外れ、声は薄く、途中で咳き込んでいる。玲歌が残した比較は残酷なほど明白だった。

弦葉は配信を止めようとした。管理画面には権限がない。玲歌は死ぬ前に、全原盤の権利を自分の遺族へ戻していた。

最後のサビで、十年分のヒット曲が一音ずつ重なり、玲歌の声だけが巨大になる。

曲が終わり、無音のスタジオで弦葉は自分の喉に手を当てた。

「私の声ではない」

三度目は歌詞ではなかった。

自分の代表曲を一つも歌っていなかった歌手が、初めて自分に向けて言う、本当の告白だった。