結婚しなかった妻

鉄砲塚清良の家に、夫を知らない清良が訪ねてきた。

家庭用量子扉の誤接続で、並行世界の自分が三日間だけ転送されたのだ。向こうの清良は、二十六歳の春に恋人だった修司へ別れを告げ、海外で建築家になっていた。

「これが、結婚した私の家?」

彼女は狭い台所、修理跡のある食卓、夫婦別々の寝室を見て回った。こちらの清良は腹を立てた。

「同情しないで」

「してない。安心してる」

向こうの清良は成功していたが、修司を忘れられず、毎年彼の名前を検索していた。こちらの修司が帰宅すると、彼女は目を潤ませた。修司も若い頃の夢を語る清良に、久しぶりに笑った。

二日目、こちらの清良は二人を残して外へ出た。嫉妬より、解放感があった。夫が欲しかったのは自分ではなく、選ばなかった頃の自分なのだと思った。

夜、向こうの清良が追いかけてきた。

「交換しない?」

「修司と?」

「世界ごと。あなたは私の仕事を。私はこの家を」

清良は一瞬、頷きかけた。だが向こうの手には、修司の好物ではなく、二十年前に好きだった缶コーヒーが握られていた。

「あなたが愛してるのは、修司じゃない。別れなかった自分よ」

「あなたは?」

「結婚した自分を、ずっと夫のせいにしてた」

三日目の朝、二人は修司の前で事情を話した。修司は長く黙り、「どちらも僕を見ていなかったんだな」と言った。

量子扉が閉じたあと、清良は離婚届を出した。向こうの人生へ逃げるためではない。修司も判を押し、二人で食卓の修理跡を撫でた。

半年後、清良は夜間の建築学校へ通い始めた。遅すぎる授業の帰り、修司から写真が届いた。ひとりで焦がした卵焼きだった。

清良は笑った。結婚しなかった自分にも、結婚した自分にもなれない。その不自由さが、ようやく自分の人生らしかった。

学校で最初に作った模型は、壁を取り払える二人暮らしの家だった。講師には「離婚住宅みたいだ」と笑われた。清良は修正しなかった。壊れない家より、関係が変わったとき出口を作れる家を設計したかった。