縁側の抜け毛
五月になると、祖父母の家の猫「おこげ」は大量に毛が抜ける。
大学生の翠久は、連休のたび縁側でブラシをかける。黒い背から取れる毛は意外に灰色で、丸めると小さな雲のようになる。
祖父の辰爾は、新聞を読みながら「畑に飛ばすなよ」と言う。祖母はおこげが亡くなったら寂しくなるから、毛を取っておけばいいと言った。
「縁起でもない」
翠久が笑うと、おこげは何も知らず腹を見せた。
ブラシ一杯分の毛を、祖母は小袋へ入れた。去年の分も引き出しにあるらしい。
昼、縁側で冷や麦を食べた。茗荷と生姜の香り、庭の土、日に温まった猫の毛。おこげは麺を欲しがらず、氷の入った器のそばで眠る。
翌年、祖父母は家を小さなマンションへ移ることになった。庭の手入れが難しくなったからだ。おこげも一緒だが、縁側はない。
引っ越しの日、翠久は最後に同じ場所でブラシをかけた。柱には爪痕、板には猫の寝た色褪せがある。
祖母が引き出しから三年分の毛を出した。小袋の中で、季節ごとに微妙に色が違う。
新居では、窓辺へ低い台を置いた。おこげは最初、落ち着かず部屋を歩き回ったが、午後の日が差すと台へ上がった。
翠久がブラシを当てると、また灰色の毛が取れた。外には畑の代わりに街の屋根が広がる。毛を入れた袋から、古い縁側の木と茗荷のような匂いが、ほんの少し立った。
新居の窓辺では、冷や麦の代わりに祖母が温かい素麺を作った。季節外れだと笑いながら、生姜を多めに入れる。おこげは台の上で街の鳩を見つめ、尾をゆっくり振った。翠久は三年分の毛を一つの硝子瓶へ移した。押し固めず、雲のようなまま蓋をする。祖父は「そんなもの飾るのか」と呆れたが、棚の一番日当たりのよい場所を空けた。瓶へ光が入ると、古い縁側で舞った毛と、新しい部屋で抜けた毛の境目は見えなかった。
おこげは瓶の中身には興味を示さず、棚の下で眠った。祖母が窓を開けると、街の風が毛を一本舞い上げる。新しい部屋にも、見えない縁側が少しずつできていた。