花柄の割烹着
千景が実家へ着くと、母は花柄の割烹着を差し出した。
「これ、あなたの。お父さんの夕飯をお願い」
それは千景が高校生のころ着せられていたものだった。袖口に薄い醤油染みがあり、背中の紐は母が結びやすい長さのまま。父が退院してから、母は毎週火曜を千景の当番にすると決めていた。
「今日は話をしに来たんだけど」
「作りながらでいいでしょう。冷蔵庫に魚があるから」
父は居間の定位置に座り、テレビを見ている。食卓には、千景の席だけ箸が置かれていなかった。食べる人ではなく、作る人として呼ばれたのだ。
火曜のたび、千景は仕事を早退し、父の好みへ味を薄くし、母の愚痴を聞いて帰った。自宅で食べるころには夜九時を過ぎる。それでも母は「家族で食べられてよかった」と言った。千景だけが、その家族の食卓に座っていなかった。
千景は割烹着を受け取ったが、着なかった。台所の椅子へ畳んで置き、鞄から配食サービスの献立表を出す。
「火曜の夕飯は、これを頼む。私が来られるのは月二回。来る日は三人で食べる日にしたい」
母の顔が曇った。「出来合いなんて、お父さんがかわいそう」
父がテレビから目を離した。「写真の鯖、うまそうだけどな」
母は父を睨み、千景へ向き直る。「私一人に押しつけるの?」
その言葉は正しかった。母一人に戻しても、何も変わらない。
「押し返すんじゃないよ。外に出すの。配食と訪問介護を使って、兄にも費用を頼む。お母さんも火曜は料理しない」
母は割烹着を見た。しばらくして、「注文の電話、あなたがして」と言う。
「今日は一緒にする。次から変更できるよう、番号は冷蔵庫に貼ろう」
三人で献立を選び、父は鯖の味噌煮、母は豆腐ハンバーグに丸をつけた。千景も同じ日の同じ弁当を自宅へ注文した。
帰る前、母が花柄の割烹着を持ち上げた。「これは、どうする?」
千景は袖の染みを見てから答えた。「処分していい。次に来るときは、私もご飯を食べるから」
母はすぐには捨てなかったが、千景へ渡し直しもしなかった。食卓に三膳目の箸を置き、来月の火曜日へ小さな丸を二つだけつけた。