茄子は油を怖がらない
御厨真帆の玄関に、隣人の弦之介が紫色の茄子を五本並べていた。
「畑の知人から届いた。私は料理をしない」
「私も最近しません」
「では、二人とも困っている」
八十歳の弦之介は、困っている割に落ち着いた顔をしていた。
真帆は在宅勤務になってから、昼も夜も机の前で済ませるようになった。画面越しには毎日何人とも話すのに、通話を切ると部屋は急に無音になる。夕食は栄養補助のゼリーで済ませる日が増えていた。
「茄子は油を吸うから、太りますよ」
「吸わせた分だけ、うまくなる」
弦之介は昔、妻がよく作ったという味噌炒めを提案した。
茄子を乱切りにし、塩水へ放つ。真帆が豚肉を切り、弦之介が味噌、砂糖、酒を合わせる。
「料理しないと言いましたよね」
「作る人の横で口を出すのは得意だ」
「一番困る役です」
そう言いながら、真帆は笑った。
フライパンへ多めの油を入れる。茄子は最初、乾いた音を立てたが、やがて油を含んで艶を増した。豚肉、生姜を加え、最後に甘い味噌だれを絡める。じゅっと湯気が上がり、台所へ濃い香りが広がった。
二人は弦之介の部屋の縁側で食べた。味噌を吸った茄子は熱く、舌の上でとろりと崩れる。青紫蘇の千切りが、重い味を涼しくした。弦之介は炊飯器の保温を切り忘れていたらしく、ごはんの底が少し乾いていたが、濃い味噌だれにはむしろよく合った。
「奥さんの味ですか」
「似ていない」
「失敗?」
「いや。これは今日の味だ」
弦之介はもう一切れ取り、満足そうに噛んだ。
真帆は、同じ毎日を繰り返していると思っていた。けれど今日の茄子は昨日のゼリーとは違う。油の量も、味噌の焦げ方も、向かいに座る人も違う。
「明日、残りで丼にしませんか」
「卵を落とそう」
「料理しない人の提案ですか」
「食べる方は現役だ」
自室へ戻ると、仕事用の画面は暗いままだった。窓を開けると、隣の縁側から風鈴が鳴る。
指先には味噌と紫蘇の匂いが残り、真帆は明日の昼休みを、久しぶりに予定として待った。