虹色の採寸
百貨店のパーソナルスタイリスト、瀬尾伶は灰色しか着ない。
シャツもネクタイも靴下も灰色なのに、首には虹色のメジャーを下げている。客が鏡の前で「似合いますか」と尋ねるたび、彼は同じ答えを返した。
「似合うは着た人が決める」
部下の黒瀬まどかが閉店後に相談したのは、元上司の昇進パーティーへ着ていく服だった。
前職で何を提案しても「若い女性の思いつき」と笑われた。今は転職して念願の売場を任されているが、招待状を見るだけで胃が縮む。
「舐められない服にしてください」
「服に威嚇を外注するのか」
「鎧が必要なんです」
「鎧で行くと、帰る時に重い」
伶は華やかなドレスを選ばなかった。まどかを店内で歩かせ、椅子へ座らせ、スマートフォンと名刺入れを持たせる。虹色のメジャーで測ったのは胴囲ではなく、歩幅、ポケットの深さ、腕を自然に上げられる角度だった。
選ばれたのは、深い青のジャンプスーツと低い靴。背筋は伸びるが、走ろうと思えば走れる。左右のポケットには、名刺と帰りの切符がきちんと収まった。
「もっと高そうなものじゃなくていいんですか」
「値札を見せに行くのか、今の仕事を話しに行くのか決めろ」
当日、元上司はやはり笑った。
『ずいぶん地味になったね』
まどかは反射的に愛想笑いをしかけ、ポケットの切符へ触れた。自分で帰れる。その事実だけで、声が戻った。
「仕事が派手になったので、服はこれくらいで」
名刺を一枚渡し、乾杯前に会場を出た。駅までの道で、初めて自分の歩幅が服に邪魔されていないと気づいた。勝った感じはしなかった。ただ、負けたふりをしなくてよかった。会場を出る時、元上司に呼び止められたが、まどかは振り返らなかった。低い靴は逃げるためではなく、自分の速度を選ぶためのものだった。店へ戻ると、伶は何も訊かず、試着室の灯だけを残していた。
翌日、伶は虹色のメジャーを彼女の手首へ一周巻いた。
「採寸は終わったはずです」
「これは体を縛る数字じゃない」
会場の入口から駅までの距離を、昨夜まどかが送った地図から測った長さだった。
「逃げ道を持つ人間は、堂々と立てる」
灰色の上司は残りのメジャーを自分の手首にも巻き、二人の間だけ虹色でつないだ。