蜂箱の休符
会社を休職した女性は、叔父の養蜂場を手伝うことになった。
働きすぎで倒れたのに、何もしないでいると罪悪感で息が詰まった。
巣箱の前でも歩き回り、次の作業を探した。
叔父が、蜂の羽音を訳す耳飾りを貸した。
ただし両足を止め、三十秒動かない間だけ言葉になる。
女性は試したが、十秒で手が動く。
二十秒で予定を考える。
ようやく三十秒立つと、羽音が声へ変わった。
「花、東」
「重い」
「戻る」
仕事の指示ばかりで、少し安心した。
もっと聞こうと動きを止める。
蜂たちは、
「空、変わる」
「一匹、遅い」
「待つ」
と話した。
一匹の蜂が、花粉を抱えて巣箱へ戻ろうとしていた。
羽が濡れ、何度も地面へ落ちる。
女性は助けようと手を伸ばした。
耳飾りの声が消える。
叔父は止めなかった。
蜂は自分で羽を乾かし、ゆっくり巣へ入った。
「助けなくていいの?」
「助けて悪いこともない。でも、何でも先にやると、その蜂の仕事じゃなくなる」
女性は職場で、部下の仕事を何度も取り上げた。
遅いから。
失敗しそうだから。
自分がやる方が早いから。
感謝されると思っていた。
実際には、皆が彼女の指示を待つようになり、本人だけが倒れた。
巣箱の前で三十秒止まる練習を続けた。
最初は休止にしか思えなかった。
やがて、蜂が戻る順番、花の匂い、叔父の呼吸が分かるようになった。
耳飾りが訳した最後の言葉は、
「休む蜂、巣を温める」
だった。
飛ばない蜂も、巣の中で役割を持つらしい。
復職した初日、部下が報告書の数字を一つ間違えた。
女性は反射的に資料を奪いかけたが、両足を床へ付けた。
三十秒待つ。
部下は自分で誤りを見つけ、直した。
次の週には、女性が思いつかなかった改善案まで持ってきた。
会議でも質問のあと三十秒黙ることにした。
部下の言葉は最初ぎこちなく、失敗も増えた。
それでも、自分以外の案が少しずつ出た。
女性が休む日には、誰かが自然に仕事を引き受けた。
忙しい午後、耳飾りを机へ置く。
蜂はいないので何も聞こえない。
それでも両足を床へ付け、三十秒動かない。
休む時間は、仕事の外ではない。
誰かが自分の羽で戻るのを待ち、同じ場所を温めるための仕事でもあった。