触れられる展示

開館前の展示室で、鳥越紬は触察台の上に置かれた器の底を見た。

視覚に障害のある来館者が触れられるよう作った複製品には、底に浅い星印があるはずだった。そこにある器には、作品番号だけが鉛筆で書かれている。収蔵庫から運ばれた本物だった。

後輩が、同じ灰色の運搬箱を取り違えたらしい。今日の団体見学は三十分後。展示担当は「誰もまだ触っていない。複製と交換して、記録だけ直せばいい」と言った。

紬は器を素手で動かさず、周囲を封鎖した。表面には目立つ傷はないが、台の固定具が本物の底に合わず、わずかに傾いている。交換だけして終えれば、なぜ取り違えたかは次の搬入日に残る。

「見学開始を遅らせます」

紬は保存担当を呼び、状態を撮影してから器を戻した。複製品の箱を探すと、収蔵庫の入口で止まっていた。箱のラベルはどちらも小さな黒文字で、目で読むことを前提にしている。触れる展示を作る部署なのに、運ぶ人には触って区別できる印がなかった。

後輩は何度も頭を下げた。

「星印は器の底にあると思って、箱まで確認しませんでした」

「本物を持ち上げて確かめる手順では遅い。箱の時点で分かるようにしよう」

紬は複製品の箱に凹凸のある帯を巻き、本物の箱には開封前に保存担当の確認が必要な封印を付けた。搬出表も、作品名だけでなく用途を大きく表示する形式へ変えた。

見学は十五分遅れて始まった。来館者の一人が複製品の縁を指でたどり、「触れると、厚みまで分かる」と笑った。隣にいた子どもも目を閉じて同じ形をなぞり、見える人と見えない人が一つの台を囲んだ。紬はその光景と来館者の言葉を、遅延報告の最後に書き足した。守ったのは器だけではなく、安心して手を伸ばせる約束だった。

館長は閉館後、紬へ一般展示の主任候補を勧めた。紬は返事の代わりに、空席だったアクセシビリティ企画担当への応募書類を出した。

「触れられる展示を、特別な一日ではなく常設にしたいです」

紬は応募書類を提出した。