軌道都市の花婿回収便
航法士の伊織は、跳躍座標を一桁誤って輸送艦を三日漂流させた。損失補填のため、地球圏議会は彼を月面財閥の後継者と結婚させ、航路権を譲渡すると決めた。
軌道都市の婚姻ドックで、伊織は白い宇宙服を着せられた。漂流中、乗員は酸素を分け合った。誰か一人でも死んでいれば、自分のせいだった。救難後、彼は船を降り、通信も切った。元クルーは呆れているはずだ。漂流中の船内記録には、酸素残量を読み上げる自分の震えた声が残っている。あれを聞けば、誰も二度と同じ操舵席へ乗りたくないだろうと思っていた。
婚姻認証へ掌を置く直前、ドックの照明が非常色へ変わった。
整備主任サナが床下から現れ、伊織の腰へ工具帯を巻いた。彼が船に残したものだ。
「機関室のロッカー、まだあなたの番号。勝手に空けると怒るから」
管制窓では船医レダが、医務室のベッド表示を〈使用予定〉に切り替えた。
「次に倒れる場所を予約した。怪我しなくても、昼寝に使っていい」
外壁モニターへ小型艇が映る。外交官宵良が操縦席で、係留許可を無視して待機していた。
「回収便、定刻なし。あなたが乗るまで離脱しません」
議会警備が動く。サナは婚姻端末へ漂流記録を接続した。誤った一桁は伊織の入力ではなく、財閥が航路事故を作るため遠隔更新したものだった。しかも彼は、残った燃料から安全座標を手計算し、全員を生還させている。
議員たちの顔色が変わる。それでも伊織は工具帯を外そうとした。真相がどうであれ、漂流中に皆を怖がらせた。自分のそばにいれば、次は酸素が尽きるかもしれない。
「僕の計算が、本当に間違う日も来る」
サナは帯の留め具を二重にした。レダは医務室の予約を無期限へ変え、宵良は推進剤を節約するためエンジンを切った。帰るまで動かない意思表示だった。
伊織は認証台から手を離す。誰と同じ居住区へ入るかは選ばず、三人の待つ回収通路へ歩いた。工具帯、空いたベッド、静止した艇。そのすべてが、正確さではなく彼自身を回収しに来ていた。