返却期限の余白

十七時五十分。堂前由岐は大学図書館の閲覧室で、江波紬から一冊の小説を受け取った。閉館まで十分。紬がこの町を離れる前に返す、最後の本だった。

二人は同じ本を交互に借り、透明な付箋で感想を残してきた。図書館の本へ直接書かない代わりに、由岐は青、紬は黄色の細い紙を余白へ並べた。登場人物より、互いの反応を読むほうが楽しみになっていた。青と黄色が同じページに増えるほど、本を返す日は延びた。紬が風邪で休んだ週には、由岐が受付へ延長を頼み、理由欄へ「まだ読み終わっていない人がいる」と書いた。

「全部、剥がした?」

「たぶん。職員に怒られるから確認して」

紬は来週から、婚約者のいる町で働く。婚約者といっても、家族が勧めた相手と二度会っただけだと聞いた。由岐は「堅実でいい」と答えた。友人の将来を邪魔しない言葉を選んだつもりだった。

貸出票の裏に、黄色い付箋が一枚残っている。

〈主人公が、好きな人から「友達でいよう」と言われたら、待つべき?〉

由岐は半年前、その下へ青い紙を貼った。

〈関係を壊すくらいなら、友達のままがいい〉

「これ、まだあったんだ」と由岐が言う。

「答え、変わってない?」

「現実的にはね」

紬は頷き、「じゃあ返そう」と立ち上がった。十七時五十八分。閉館音楽が流れ、彼女は玄関で待つ家族の車へ急いだ。

由岐が付箋を剥がすと、青い紙に隠れていた黄色い紙の下半分が現れた。

〈小説の話じゃない。由岐に言われたら、私は待てない〉

彼の青い付箋は、ちょうどその一文を覆う位置に貼られていた。紬は問いの半分しか見えないまま返ってきた答えを、拒絶として半年持ち歩いたのだ。

図書館の自動扉が閉まり、外の車が動き出す。由岐は窓を叩いたが、紬は反対側を向いていた。電話には〈今までありがとう〉だけが届いた。

閉館後の返却口が赤く点灯する。由岐は黄色と青の付箋を本へ戻しかけ、どちらも剥がした。二枚を財布へ入れ、小説だけを返却口へ落とした。