退職後も出勤する
弓削章仁は毎朝九時、会議画面に並ぶ顔を数える。全員の輪郭に緑の枠がつけば出勤扱いだ。遅刻者を待つ必要も、点呼する必要もない。
事故で死んだ峯岸巽にも、今日も緑の枠がついた。
画面の巽は、いつものように無口で、資料をめくり、頼まれればうなずいた。葬儀から三週間たつ。だが会社の出勤AIは、彼を一度も欠勤にしていない。
章仁が人事へ問い合わせると、短い回答が返った。
《本人確認が継続しているため、死亡・退職手続きは開始できません》
会社の規則は一つ。月内に一度でも本人確認を通れば在籍を継続し、死亡給付も退職金も保留する。誰かが社員を殺し、偽の死亡届で金を奪うのを防ぐためだという。
昼休み、巽の妻が受付に来た。抱いた赤ん坊の頬が、雨で濡れていた。
「今月の家賃が払えません。夫の給付金だけでも」
章仁は会議画面を見せた。妻は、動く夫を見ても泣かなかった。
「それ、会社が作ったんです。生前、顔も声も全部撮られたって言ってました」
「証拠は?」
「棺の中の夫なら」
受付カメラが妻を映し、無関係者として赤く囲んだ。
午後三時、画面の巽が突然、手を挙げた。
『一身上の都合により退職します。未払い給付を放棄します』
章仁は椅子を蹴った。合成された声は、巽が酒に酔ったときの癖まで再現していた。退職届の本人判定が緑になる。
「止めろ! 死人に署名させるな!」
上司は音量を下げただけだった。
「本人と判定されている。君の感情で覆せない」
章仁は妻へ通話をつないだ。赤ん坊が画面へ手を伸ばした瞬間、巽の映像が一度だけそちらを見た。偶然か、学習済みの父親らしさか、分からなかった。
通知音が鳴る。
《退職を受理しました。本人の希望により遺族への連絡は行いません》
緑の枠が消え、巽の席は空白になった。
死亡ではなく、円満退職として。
翌朝、章仁が会議を開くと、巽の顔は「業務支援モデル」として資料の説明を始めた。社員ではないので給料も給付も不要だった。妻の赤ん坊だけが、画面の声に反応して泣いた。