逆さの検体番号
江波戸七海は浄水膜メーカーの検査補助員だった。町営浄水場への納入を決める性能確認会で、試験水の分析表へ押印するよう命じられた。
膜を通過した水の濁度は〇・三六。基準〇・五以下で合格。営業部長の広瀬は契約書を開き、七海へ認印を渡した。
七海が測った値は三・六だった。膜の接着部から原水が漏れていた。
分析表には、入口試料A24が三・六、出口試料B42が〇・三六とある。広瀬は七海が容器を取り違えたと言った。
七海はバーコードの検査数字を計算した。A24のラベル末尾は7、B42は2。しかし分析表に貼られた画像では、A24が2、B42が7になっている。番号部分だけを切り取り、上下逆に貼り替えたため、検査数字が入れ替わっていた。
広瀬は画像編集時の配置ミスだと笑った。
七海は検体保管庫の写真を示した。B42の瓶は試験後も未開封で、封印が残っている。分析されたのはA24だけだった。出口水の合格値は、同じ原水データの小数点を一桁動かして作られていた。
町の水道課長は、納期を延ばせば夏の給水計画に影響すると言った。広瀬は七海の試用期間が今月で終わることを思い出させた。
七海は認印を掌で握った。自分が黙れば雇用は続く。だが三・六の水も、同じように蛇口から流れ続ける。
彼女は分析機の自動署名時刻を読み上げた。表の作成は午後二時九分、検体B42の採取記録は午後二時三十一分。採る二十二分前に結果が出ている。
七海は漏れた膜の切断面写真も示した。接着剤の幅は設計値二・〇ミリに対し〇・六ミリしかない。同じ製造日に作られた四十八本が倉庫で出荷待ちだった。広瀬は一本だけの作業ミスだと言ったが、製造機の設定履歴では一日中〇・六のままだった。
未開封のB42には、採取予定時刻を示す青い封印札も残っていた。
水道課長が契約書を閉じた。七海の認印は渡されたまま、浄水膜の納入決裁は逆さの番号の上で止まった。