醤油差しの境目

里緒が父の部屋へ昼食を届けたのは、退院して三日目の日曜日だった。

テーブルにはコンビニの空き容器が重なっていた。里緒はそれを端へ寄せ、持ってきた焼きうどんを二つの皿に分けた。父は椅子へ座るなり、醤油差しを取った。

「薄いだろ」

里緒の皿へ注ごうとする手を、彼女は両手で止めた。

「自分でかける」

「お前は昔から味が分からない」

「その言い方も、今日はやめて」

「病人に細かいことを言うな」

父の手首は以前より細かった。それでも、醤油差しを離そうとはしない。里緒は力で取り上げず、注ぎ口の下へ自分の小皿を差し込んだ。黒い一滴がそこへ落ちた。

「私の皿に勝手に足さないで」

「親が味を見て何が悪い」

「私の味だから」

父は鼻で笑い、ようやく手を離した。里緒は醤油差しをテーブルの中央へ置いた。二人の皿から同じ距離になる場所だった。

食事中、父は薬の袋を何度も確かめた。里緒は飲み方を知っていたが、先回りして並べなかった。父が袋を裏返し、文字を読むのを待った。

「この白いのは昼か」

「袋に書いてある」

「読みにくい」

「眼鏡、テレビの横」

「取ってくれ」

「場所は言ったよ」

父は不満そうに立ち、眼鏡を取った。戻る途中で少しふらついた。里緒は椅子を引いたが、体には触れなかった。

皿が半分空いたころ、父が言った。

「来週も来るんだろ」

「宅配のお弁当を頼んだ。私は月末に来る」

「娘がいるのに金を払うのか」

「娘だから毎日来る、には戻らない」

「冷たいな」

「冷たくならないために、回数を決めるの」

父は焼きうどんを噛み、何も返さなかった。やがて醤油差しへ手を伸ばした。里緒の肩が硬くなる。

しかし父は、自分の皿へ二滴だけ落とした。それから中央へ戻した。こちら側へは一滴も飛ばなかった。

帰り際、里緒は空いた容器を袋へまとめた。父が玄関まで来て、「次は月末だな」と言った。

「うん。昼に来る」

「味はもう少し濃くしてくれ」

里緒は靴を履きながら笑った。

「それは自分で足して」

扉を閉める直前、父の手が醤油差しを持ち上げるのが見えた。中央から自分の側へ、必要な分だけ動かしていた。