金魚袋の重さ
彼女は金魚を一匹だけすくった。
紙が破れる直前、赤い尾が器へ滑り込んだ。屋台の人が透明な袋に水を入れ、輪ゴムで口を閉じる。
「持つ?」
差し出されたので受け取ると、思ったより重かった。
「自分で取っただろ」
「浴衣だと手がふさがる」
彼女は薄桃色の浴衣を着ていた。普段は教室の後ろで眠ってばかりで、髪も適当に結んでいる。今夜はきちんと上げ、簪まで挿していた。
僕らは同じクラスだが、二人で出かけるほど親しくない。駅で偶然会い、友達が来るまでという約束で屋台を回っていた。
「友達、遅いね」
「来ないかも」
彼女は画面を見ずに言った。
来月、転校することを、僕はその夜初めて聞いた。親の都合で、海の近くの町へ行く。
「なんで黙ってた」
「教室で言うと、送別会になるから」
「嫌なの?」
「終わる感じがする」
金魚の袋が歩くたび揺れた。彼女はそれを見つめ、急に言った。
「その子、飼ってくれない?」
「僕が?」
「転校先、寮だから」
それなら最初から金魚を取るな、と言いかけてやめた。彼女は持って帰れないものを、一つだけ手に入れたかったのかもしれない。
河原に着くと、花火が始まった。
彼女は何か話した。音で聞こえなかった。顔を見ると、笑っているのに目が濡れていた。
「何?」
「名前、決めて」
僕は袋を持ち上げた。赤い金魚は花火の光を受け、青くも金色にも見えた。
「祭」
「そのまま」
「じゃあ、転校しないで」
冗談のつもりだった。彼女の笑顔が止まった。
次の花火が上がる前に、彼女は僕の空いている手を握った。
「それは無理」
大きな音が続いた。僕らは手をつないだまま、何も言わなかった。
夏休みの終わり、彼女は転校した。教室では短い挨拶だけだった。送別会はなかった。
金魚は僕の部屋で生き続けた。水を替えるたび、祭りの夜の重さを思い出した。
一年後、海辺の写真が届いた。裏に一行だけ書いてあった。
『祭、元気?』
僕は水槽の写真を送り返した。金魚は大きくなり、もう小さな袋には戻れない。
『元気。僕も』
送信したあと、あの夜に消えた彼女の声を、少しだけ聞けた気がした。