金魚鉢の味噌バターラーメン
茅森双葉が夜勤から戻ると、金魚鉢の灯りだけが部屋を青く照らしていた。
赤い金魚の火花と、黒い出目金の小雨が、水草のあいだをゆっくり回っている。双葉は制服を脱ぐ前に餌を二粒ずつ落とした。
「私は今から、二百粒くらい食べる」
火花が口を丸く開けた。
病棟では、休憩を取れなかった。忙しいというより、誰かがナースコールを押すたび「先に行きます」と立ってしまったのだ。先輩から、もっと人に頼っていいと言われた。分かっている。それができれば苦労はない。
鍋へ湯を沸かし、袋麺の味噌味を入れる。冷凍コーン、もやし、薄切りの豚肉も一緒に煮た。仕上げに大きなバターを一片。黄色い角はスープの上で少し粘り、やがて輪郭を失った。
丼へ移すと、味噌とにんにく、甘い乳脂肪の湯気で眼鏡が曇る。
「これを病院の栄養士さんには見せられない」
小雨が水草の陰へ隠れた。
「あなたまで引かないで」
麺をすすると、塩気の強いスープが冷えた喉を通った。豚の脂ともやしの水気、コーンの甘さ。バターが溶けたところだけ、味噌が丸く濃くなる。
双葉は食べながら、今日頼れなかった場面を数えた。点滴交換、入院案内、薬の確認。全部、自分でやった。立派というより、ただ空腹になった。
火花と小雨は餌を食べ終えると、何もなかったように別々の場所へ泳いだ。取り合いも、遠慮もない。
「明日は一個、頼む」
双葉は声に出した。
「一個できたら、合格」
スープを半分残すつもりだったが、気づけば丼の底が見えていた。罪悪感より先に、体が温かいと感じた。洗い物を終え、病棟のグループ連絡へ〈明日の朝一番の採血、どなたか一件お願いできますか〉と送る。すぐに、同僚から手の絵文字が返った。
布団へ入ると、金魚鉢のポンプが小さく鳴っていた。部屋には味噌とバターの匂いが残り、双葉の腹の中でも、今日の終わりがゆっくり溶けていった。
火花が水面近くで一度身を返し、青い光が天井へ揺れた。双葉はその模様を見ながら、頼ることも水の流れを変える小さな動きなのだと思った。唇にはまだ、味噌の塩気とコーンの甘さが残っていた。