針穴ほどの逃げ道
迷宮案内役のミュールは、勇者隊から荷物持ち以下に扱われていた。
地図を読めず、魔物も倒せず、できるのは破れた袋を縫うことだけ。勇者ザレスは最下層へ着いた途端、約束した報酬を取り消した。
「帰還石は四人用だ。針子は置いていく」
仲間たちは目をそらし、宝箱とともに光へ消えた。
残されたミュールの視界に、昔から変わらない表示が浮かぶ。道中、彼女が靴や水袋を直したからこそ隊は最下層へ着けた。それでも分配表に彼女の名はなく、勇者はその事実さえ功績として数えなかった。
【固有スキル《運針》:針を布の表から裏へ通し、糸を伴って再び表へ戻す】
直後、宝箱の封印が解けた反動で溶岩が噴き出した。
最下層の扉は閉じ、帰還石もない。さらに檻に入れられた採掘奴隷が十数人、置き去りにされていた。勇者たちは彼らを魔物を誘う餌として連れてきたのだ。
「出口は三百層も上だ」
老坑夫が諦める。檻の中では、母親が自分の水を子どもへ飲ませ、空になった革袋を抱いていた。
ミュールは壁へ針を当てた。硬い岩に傷一つつかない。けれど表示は、布を切れとも穴を開けろとも言っていない。ただ、表から裏へ通せとある。
迷宮に表と裏があるなら。
彼女は最下層そのものを巨大な布と見立て、長針へ全員を結ぶ救命縄を通した。迫る溶岩の熱で髪が焦げる。
「しっかり糸につかまって!」
針を足元へ突き立てる。
石床が水面のようにたわみ、ミュールの身体は奴隷たちごと迷宮の内側へ吸い込まれた。暗闇を一瞬で抜け、次に針先が飛び出したのは、山の外にある入口広場だった。
布の裏から表へ戻っただけだ。
そこでは勇者隊が、持ち帰った財宝を自分たちだけの戦果として披露していた。
地面から現れた奴隷たちが、餌にされた経緯を一斉に証言する。ザレスの笑顔が凍り、騎士団長が帰還石の使用記録を確認した。
ミュールは救命縄をほどきながら、未払いの報酬額を一桁上げて請求書へ書いた。
【職業《迷宮針子》が上位職《界渡縫者》へ書き換わりました】