銀梟書店の買い取り印

古書店《銀梟》の帳場で、倉科美弦教授は百年前の初版本を床へ落とした。

「贋物だ。学生上がりの店員には鑑定など無理だったな」

 店員の遠野硯が拾おうとすると、教授は革靴で表紙を踏む。

「私の研究費で買った。全額返金しろ。迷惑料として、本物の蔵書も三冊よこせ」

「返金査定の前に、こちらへご記入ください」

 硯は買い取り異議申立書を差し出した。

 教授は〈本書は銀梟書店から本日購入し、店外で開封していない〉と書き、大学の職印を押した。

「私の鑑定に逆らうなら、二度と学会へ出られないぞ」

 硯は初版本の裏表紙へ紫外灯を当てた。薄い銀梟の印と、納品時刻が浮かぶ。

「当店の本には、所有権移転時にだけ発色する買い取り印があります」

 印は無色のままだった。

「つまり、これは当店がお渡しした本ではありません」

 教授が持ち込んだ本の見返しをめくると、削られた跡から大学図書館の蔵書印が現れた。貸出禁止の資料だ。

「店が入れ替えたんだ!」

「では、教授の配信をご確認ください」

 美弦は来店前から〈無知な古書店を論破する〉と学生向けに配信していた。映像には、店の外で鞄から大学蔵書を出し、銀梟の包みへ入れ替える手元が映っている。本人はカメラが顔だけを捉えていると思っていたが、ショーウインドーに全部反射していた。

『店の本は研究室へ隠した。返金と追加三冊で四冊手に入る』

 同行助手への囁きまで残っている。

 教授は職印を奪い返そうとした。

「講義用の演出だ。私は文化財保護委員だぞ」

 配信を見ていた学生たちが次々と退室し、視聴者数だけが増えていく。教授が毎週説いていた「資料への敬意」という言葉が、踏まれた表紙の横で虚しく残った。

「その職印で、『店外で開封していない』と申告されています」

 硯が指すと、入口の鈴が鳴った。大学図書館長と警察官が入ってくる。配信を見た学生が通報していた。

 図書館長は踏まれた本ではなく、署名済み申立書を受け取った。

 そして教授の職印を机へ置き、文書を読み上げた。

「倉科美弦教授に懲戒免職、および特別蔵書窃盗容疑による逮捕状執行を通知します」