鍋底の白い月
大槻芙由がクリームシチューを作り始めると、同居人は冷蔵庫から病院の書類を取り出した。
「ここに入れてたら、牛乳と間違える」
「白いからいいかと思って」
冗談として弱すぎて、二人とも笑わなかった。
芙由は明日から入院する。治療がどこまで効くかは始めてみなければ分からない。冷蔵庫には、賞味期限が明日の牛乳が一本と、半分だけ使った生クリームがあった。捨てずに済ませることが、今夜の用事だった。
鶏肉を焼き、玉ねぎを透き通るまで炒める。じゃがいもは小さく切った。同居人は大きいほうが好きだが、煮崩れたものをパンにつける食べ方を、芙由は知っていた。
小麦粉を振り入れると、木べらが急に重くなる。牛乳を少しずつ足し、だまを潰す。鍋の表面が白くなめらかになったところで、生クリームの紙容器を逆さにした。最後の一滴がなかなか落ちない。
「切れば?」
同居人がはさみを差し出す。芙由は容器を縦に切り開き、内側に残った白い膜を木べらですくった。ここまでしなくても味は変わらない。それでも全部、鍋へ入れた。
二人は床の低いテーブルで食べた。パンをちぎり、シチューへ沈める。病院の保証人欄は同居人には書けない。法律上はただの友人だ。その線引きを、今夜だけ食卓の外へ置いた。
同居人が鍋をのぞく。
「明日の分、残らなかったね」
「そのために作ったから」
芙由は木べらで鍋底をなぞった。薄くこびりついた白い膜が、丸く集まる。二人でスプーンを差し入れ、最後のひとすくいまで分けた。
空になった牛乳パックを洗うと、同居人が乾かしやすいよう縦に切り開いた。生クリームの容器と重ね、資源ごみの袋へ入れる。芙由は冷蔵庫の棚を拭き、白い輪染みを落とした。そこには明日から、誰の名前もない病院の書類ではなく、同居人が買う牛乳が置かれる。棚板を戻すときだけ二人で両端を持ち、溝へ同時にはめた。
食後、芙由は鍋に水を張った。白い膜がゆっくり浮き、月のような円が崩れていく。スポンジを一周させると、銀色の底が完全に現れた。