鍵が忘れさせる部屋

冒険者組合の会計係アニカは、夜ごと増える借金の数字に気づいていた。

遠征から戻らない者の名義で装備が買われ、若い冒険者たちへ返済が押しつけられている。昨日は十九歳の剣士が、母の形見の指輪を返済のために手放した。アニカが数字の不自然さを口にすると、組合長は笑って彼女の机を廊下へ出した。

証拠の原簿は組合長室の奥。扉には、本人の影でしか開かない錠が掛かっていた。匿名の告発だけでは、明朝までに原簿を燃やされる。現物を監査役の前へ置くしかない。

監査が来るのは明朝だった。

アニカは市場の端にある「一度だけ開く鍵屋」へ走った。

「どんな扉でも開ける鍵をください」

店主は黒い鍵を一本、布の上へ置いた。

「一つの扉を開ける代金は、あなたがノックせず入れた場所の記憶を一つ」

アニカが思い出したのは、叔母の台所だった。

両親を亡くしてから、そこだけは鍵を持たずに入れた。鍋には豆の煮込みがあり、仕事で遅くなっても、椅子が一つ空けてあった。失敗を隠しても、叔母は皿を置いてから叱った。

初めて給金をもらった日、アニカは遠慮して玄関で待った。叔母は内側から扉を開けず、「自分の家で待つ人があるかい」と台所から怒鳴った。その言葉以来、アニカはノックをしなかった。

組合の寄宿舎も、自分の机も、許可がなければ使えない。歓迎された場所は、あの台所しかない。

「住所は忘れませんか」

「道も人も覚えている。ただ、そこへ入ってよかった感覚が消える」

証拠を取れば、若い冒険者たちは救われる。けれどその夜から、自分は叔母の家の前で立ち止まり、他人の扉のようにノックするのだろう。

アニカは黒い鍵を握った。

香辛料の匂い。煮込みの湯気。何も言わず引かれていた椅子。それらが一枚の布ごと引き抜かれるように消えた。

鍵が掌で温かくなる。

組合長室へ戻り、錠へ差し込む。影のない鍵穴が、素直に回った。

扉の向こうには、改ざんされた原簿が積まれている。

アニカは一歩入った。

背後で扉が閉まる音は、もう、どの家の音にも似ていなかった。