閉館十分钟前の青
十八時五十分。寺西皓貴は市立画廊で、片瀬佳純の個展を見ていた。閉館まで十分。入口に飾られた大作は、画面いっぱいを青で塗り潰した絵だった。
朝、マッチングアプリで佳純を見つけた。プロフィール写真の背景がその青だったから、右へ動かした。美大時代、二人で描き始めた壁画と同じ色。皓貴が就職を選び、制作から抜けた日から会っていない。家賃と画材費を払えなくなった皓貴は、佳純へ相談せず内定を受けた。彼女なら引き留めると思い、それに甘えたら何も選べなくなると怖かった。佳純には、相談する価値さえないと受け取られた。皓貴は会社員になってからも、広告の背景へ同じ青を使った。佳純はその色を見つけるたび、まだ自分の半分が残っていると思ったという。
佳純は展示室の奥にいた。
「マッチしたね」
「偶然ってあるんだな」
「距離を一キロにして、三か月待った偶然だけど」
冗談のように言い、彼女は来週ベルリンへ発つと続けた。青い絵は今夜売却され、海外の収蔵庫へ入る。
「右半分、消したんだな」
「描いた人がいなくなったから」
「悪かった」
「仕事を選んだことじゃない。何も言わずに、私まで選ばなかったことが」
皓貴はポケットから一本の平刷毛を出した。共同制作で使い、返せないまま十年持っていた。柄には佳純が青いテープを巻いている。
「これ、返す」
「もう使わないよ」
閉館放送が流れ、佳純は作品の引き渡しへ向かった。扉が閉まった後、学芸員が照明を落とし、紫外線灯だけを点けた。
「作者から、寺西さんが来たら最後に見せるようにと」
青の下から、消えたはずの右半分が淡く浮かぶ。皓貴の筆跡、その横に佳純の文字。
〈ここまで来たら、もう一度一緒に描きたい〉
アプリにも遅れてメッセージが届いた。
〈閉館までに刷毛を返さなかったら、持っていくつもりだと受け取る〉
時刻は十八時四十九分。皓貴はさっき、返してしまった。
搬入口でトラックの扉が閉じる音がした。皓貴は青い平刷毛を追わず、受付の寄贈箱へ入れた。