開けた鞄を閉じる人
璃子が風呂から戻ると、旅行鞄が開いていた。
母が床に膝をつき、畳んだ下着の隙間へ乾麺を差し込んでいる。脇には、璃子が入れたはずの袖なしのブラウスが除けられていた。
「何してるの」
「隙間がもったいないでしょう。素麺と海苔、それから洗剤も入るわよ」
「勝手に開けないで」
母は笑った。「親子なのに大げさね。洗濯物だって昔は全部お母さんが――」
璃子は母の手から乾麺を抜いた。一本が袋の中で折れ、小さな音がした。
「ブラウスは?」
「そんな肌の出る服、向こうでも着ないほうがいいと思って。会社の人に軽く見られるわよ」
帰省してから一日、母は髪型にも靴にも同じ言葉を使った。あなたのため。間違えないように。恥をかかないように。
璃子はブラウスを鞄へ戻し、素麺と海苔と洗剤を畳の上へ並べた。
「持って帰るのは海苔だけ」
「せっかく用意したのに」
「私の荷物に入るものは、私が選ぶ」
「冷たい子ね」
母の声が低くなった。その言葉を聞くと、以前の璃子なら一つ余計に持ち帰った。重い洗剤も、食べきれない乾麺も、母を安心させるために詰めた。
今回は、海苔だけを底へ入れた。
「冷たいんじゃなくて、閉めたいの」
璃子は鞄の蓋に手を置いた。
「次から、私の鞄も引き出しも開けないで。必要なものは聞いて。聞かれたら答える」
母は立ち上がり、除けた洗剤を抱えた。「もう何もしてあげられないのね」
「してほしいことは言うよ。してほしくないことも言う」
母は返事をせず部屋を出た。廊下の明かりが細く差し、開いた鞄の金具に反射した。
璃子はファスナーを端まで引いた。小さな番号錠を通し、三つの数字を回す。
寝る前、母は一度だけ戻ってきた。閉じた鞄には触れず、『海苔は、本当にいるのね』と聞く。璃子が頷くと、母は『じゃあ、それだけ』と言った。欲しいものを答える会話は、勝手に詰められる好意よりずっと短く、息がしやすかった。
翌朝、鞄の横には、海苔と同じ大きさのメモが置かれていた。
〈次は何がいるか先に聞く〉
璃子はメモだけを外ポケットへ入れ、鍵は自分で閉めたままにした。