雨のホームで指輪を外さない

颯太は雨の駅で婚約指輪を外した。匿名のメッセージに添えられた写真には、玲奈が見知らぬ男と腕を組む姿が写っていたからだ。問いただすこともせず「もう信じられない」と告げ、反対方向の電車に乗った。のちに写真が加工されたものだと分かっても、玲奈は二度と連絡をくれなかった。

十年後、事故に遭った颯太は、あのホームのベンチで目を覚ました。

黄色い傘。濡れた切符。画面には同じ写真と同じ一文。

《これでも信じる?》

一度目の颯太は、震える手で指輪を抜いた。今度は指輪を握り込み、匿名アカウントへ返信する。

《信じる。だから本人に聞く》

すぐに電話をかけた。玲奈は三回目の呼び出しで出る。

「颯太? ごめん、今は説明できない」

その台詞も前と同じだった。前回はここで通話を切った。颯太は雨音に負けない声で言う。

「説明できる場所まで行く。逃げないから、君も切らないで」

沈黙のあと、玲奈が駅の反対側を指示した。歩道橋を渡ると、彼女は写真と同じ男を支えていた。男の片脚には義足があり、白杖が倒れている。

「兄なの。家族と絶縁しているって、颯太に言えなくて」

写真では切り取られていた足元を見て、颯太は胸が詰まった。だが、過去の自分を責めるために戻ったのではない。

彼は画面を拡大し、写真の端に映る広告を見る。掲載開始日は今日。ところが送信者は《半年前から続いている》と書いていた。玲奈の従姉・玖美しか知らない予定と構図だった。

その瞬間、匿名アカウントから新しい通知が来た。

《余計なことをするな》

証拠を自分から残した。颯太は画面を玲奈へ見せ、指輪を外す代わりに彼女の手へ重ねた。

玲奈の兄は倒れた白杖を拾い、「妹を疑わず来てくれたんですね」と頭を下げた。颯太は胸が痛んだ。疑わなかったのではない。疑いを、本人へ確かめる勇気に変えただけだった。

前の人生では二十一時十二分に届いた婚約解消届の受理通知。駅の時計がその時刻を指しても、端末は沈黙したままだった。

代わりに玲奈が、涙の向こうで初めて言った。

「今度は、一緒に帰ってくれる?」